
社会生活を送る中で、私たちは時に一人では解決が難しい問題に直面することがあります。経済的な困窮、家庭内の不和、心身の健康問題など、その内容は多岐にわたります。
このような複雑な課題を抱える人々に対し、専門的な知識と技術を用いて個別に寄り添い、自立した生活を営めるよう支援するのが「ケースワーク(個別援助技術)」です。
ケースワークは、単に物質的な援助を行うだけでなく、相談者一人ひとりの人格や価値観を尊重し、信頼関係を築きながら問題解決のプロセスを共に歩んでいくことを重視します。画一的な対応ではなく、その人自身の意思を深く理解し、その人らしい生き方を取り戻すための専門的な関わりが求められるのです。
この記事では、福祉の現場における根幹的な技術であるケースワークについて、その歴史的な成り立ちから、支援の目的、そして具体的な手順に至るまでを詳しく解説します。ケースワークへの理解を深めることで、対人援助の専門性とその重要性が見えてくるでしょう。
ケースワークとは?

ケースワークとは、個人やその家族が抱える精神的、身体的、あるいは社会的な性質の問題に対し、専門的な知識と技術を用いて個別的に支援するソーシャルワークの一手法です。
日本語では「個別援助技術」と訳され、支援を必要とする人(クライエント)一人ひとりの状況や人格を深く尊重し、その人らしい自立した生活を送れるように手助けすることを目的としています。
このアプローチの根底には、人々が直面する困難は、個人の内面的な要因だけでなく、その人を取り巻く環境との相互作用の中で生じるという考え方があります。 そのため、ケースワーカー(援助者)は、クライエントとの対話を通じて信頼関係を築きながら、問題の本質を多角的に捉えようとします。 そして、クライエント自身が問題解決能力を高め、社会資源を効果的に活用できるよう、専門的な立場から伴走します。
ケースワークは、クライエント個人の変化を促すだけでなく、その人を取り巻く環境へ働きかけることも重要な役割とします。医療、福祉、教育など幅広い分野で実践されており、ソーシャルワークにおける最も基礎的で中心的な技術として位置づけられています。
ケースワークの沿革と人物

現代社会福祉の根幹をなすケースワークは、一夜にしてその形を成したわけではありません。その起源は、近代社会が成立する過程で生まれた貧困問題への対応にまで遡ります。
単なる宗教的な慈善活動や個人的な善意から、科学的根拠に基づいた専門的な援助技術へと発展を遂げるまでには、数多くの先駆者たちによる理論の構築と実践の積み重ねがありました。この変遷の道のりは、社会が困難を抱える個人にどう向き合ってきたかの歴史そのものと言えるでしょう。
ここではケースワークの沿革や重要人物をいくつか紹介します。
慈善組織協会
ケースワークの直接的な源流は、19世紀後半のイギリスに設立された慈善組織協会(Charity Organization Society, COS)の活動に見出すことができます。
産業革命後のロンドンでは、貧困が深刻な社会問題となる一方で、数多くの慈善団体がそれぞれ無秩序に活動し、援助の重複や非効率が生じていました。COSは、こうした状況を改善し、慈善活動を組織的かつ効率的に行うことを目的に1869年に設立されました。
その活動の中心となったのが、「友愛訪問員(friendly visitor)」と呼ばれるボランティアによる家庭訪問です。彼らは支援を求める家庭を個別に訪ね、生活状況を詳細に調査し、救済の必要性を判断する役割を担いました。
当時のアプローチには、貧困の原因を個人の道徳的な欠如に求める側面も含まれていましたが、個々の事情に深く分け入り、対話を通じて援助を行うという手法は、後のケースワークにおける個別処遇の考え方の萌芽となりました。
慈善組織協会の取り組みは、援助が単なる物質的な施しから、個人の状況理解に基づく計画的な関わりへと移行する、重要な第一歩だったのです。
リッチモンド
慈善組織協会の実践を、経験則の域から脱却させ、専門的な援助技術として体系化した人物が、アメリカのメアリー・リッチモンドです。彼女は「ケースワークの母」とも称され、その功績は現代のソーシャルワークにも大きな影響を与え続けています。
リッチモンドは、援助とは科学的な知識と客観的な事実に基づいて行われるべきだと考え、その理論と方法を確立しようと努めました。1917年に出版された主著「社会診断(Social Diagnosis)」は、その思想の集大成です。
この中で彼女は、クライエントが抱える問題を正確に理解するためには、本人からの情報だけでなく、家族、医師、教師、雇い主といった多様な情報源から社会的な事実を収集し、それらを論理的に分析・解釈する「社会診断」のプロセスが不可欠であると説きました。これは、個人の困難をその人を取り巻く社会環境との相互作用の中で捉える視点であり、現代のケースワークにおけるアセスメント(事前評価)の基礎を築きました。
リッチモンドの業績によって、ケースワークは専門的知識に裏打ちされた援助技術としての地位を確立し、ソーシャルワーカーという専門職の礎が築かれたのです。
バイスティック
ケースワークの科学性が追求される一方で、援助を成功させる上で最も重要な要素である、援助者とクライエントとの間の「関係性」に光を当てたのが、アメリカの社会福祉学者フェリックス・バイスティックです。彼は、いかに優れた理論や技術があったとしても、両者の間に信頼に基づいた良好な関係がなければ、真の援助は成立しないと考えました。
1957年の著書「ケースワークの原則(The Casework Relationship)」の中で、彼はその理念を「バイスティックの7原則」として示しました。この原則には、クライエント一人ひとりを唯一無二の存在として捉える「個別化」、クライエントが自由に感情を表現できるよう促す「意図的な感情表出」、クライエントを先入観で判断せず、あるがままに受け入れる「非審判的態度」と「受容」、そして最終的な決定はクライエント自身に委ねる「自己決定の尊重」などが含まれています。
これらの原則は、クライエントの人格と尊厳を守り、主体的な問題解決を促すための援助者の基本的な倫理姿勢を示したものです。バイスティックの7原則は、今日でも世界中のソーシャルワーカーにとっての行動規範であり、対人援助職の根幹をなす普遍的な価値観として受け継がれています。
パールマン
リッチモンドが確立した診断主義と、その後の機能主義アプローチの双方を発展的に統合し、より実践的なモデルを提示したのが、ヘレン・ハリス・パールマンです。彼女は、クライエント自身が内に秘めている「問題解決能力」を最大限に引き出すプロセスこそがケースワークの中心であると考え、「問題解決アプローチ」を提唱しました。
パールマンは、ケースワークを構成する中心的な要素を「人(Person)」「問題(Problem)」「場所(Place=専門機関)」「プロセス(Process)」の4つに整理し、これらを「4つのP」と呼びました。これは、何らかの問題を抱えた人が、専門的な知識や機能を持つ機関を訪れ、援助者との協働的なプロセスを通じて、自らの力で問題に対処していく過程を明快に示したものです。
このアプローチの特徴は、問題の原因を探ることだけに終始するのではなく、クライエントが「今、ここ」で課題にどう向き合い、乗り越えていくかという主体的な取り組みそのものを支援の対象とした点にあります。
パールマンの理論は、クライエントの潜在能力を信じ、その力をエンパワーメントしていくという視点を明確にし、短期処遇や課題中心アプローチといった後のソーシャルワーク理論に多大な影響を与えました。
ケースワークの目的と手順

ケースワークは、属人的な経験や勘に頼って行われるものではなく、確立された理論に基づいた体系的なプロセスを経て展開されます。クライエントが直面している困難な状況を正確に把握し、その人らしい自立した生活を取り戻すという目的に向かって、援助者とクライエントが共に歩む道のりには、明確な段階が存在します。
ここでは、ケースワークが目指すものと、その支援が具体的にどのような手順で進められていくのかを詳しく見ていきます。
ケースワークの目的
ケースワークの根源的な目的は、クライエントが抱える問題そのものを解消するだけにとどまりません。その最終的なゴールは、クライエントが自身の能力を最大限に発揮し、社会の中に存在する様々な資源を主体的に活用しながら、より質の高い生活(QOL)を自らの力で営めるように支援することにあります。
言い換えれば、問題解決のプロセスを通じて、クライエント自身の「心理社会的機能」を高め、再び同様の困難に直面した際にも対処できるような力を育むことを目指すのです。
そのため、援助者は単に解決策を提示するのではなく、クライエントとの信頼関係を基盤に、その人が本来持っている強みや可能性(ストレングス)に着目します。そして、自己肯定感を高め、意思決定能力を尊重しながら、自立への歩みを伴走する役割を担います。
個人の尊厳を守り、その人らしい生き方を実現するためのエンパワーメントこそが、ケースワークの掲げる普遍的な目的と言えるでしょう。
インテーク
ケースワークのプロセスは、クライエントが援助機関の窓口を訪れる最初の接触場面である「インテーク」から始まります。日本語では「受理面接」とも呼ばれ、この段階は正式な支援契約を結ぶ前の重要な導入部と位置づけられています。
インテークの主眼は、クライエントがどのような問題や悩みを抱えて相談に来たのかを丁寧に聴き取り、その主訴を把握することにあります。
同時に、援助者は自機関が提供できるサービスの内容や機能を具体的に説明し、クライエントのニーズに応えることが可能かどうかを見極めます。もし機関の機能と合致しない場合は、より適切な他の専門機関を紹介することも重要な役割です。
この初期のコミュニケーションを通じて、クライエントは安心感を抱き、援助者は信頼関係を築く第一歩を踏み出します。インテークは、これから始まる支援全体の方向性を決定づける、極めて重要なスタート地点なのです。
情報収集
インテークで大まかな問題が把握された後、より的確な支援方針を立てるために不可欠となるのが「情報収集」のプロセスです。
これは、クライエントを取り巻く状況を多角的かつ客観的に理解するための段階であり、英語では「スタディ」とも呼ばれます。収集すべき情報は、クライエント本人から語られる主観的な事実に加え、客観的なデータも含まれます。
具体的には、本人の成育歴や職歴、健康状態、経済状況、家族構成や人間関係、利用している社会資源など、非常に広範にわたります。情報源も、クライエント本人との面接はもちろんのこと、本人の同意を得た上で、家族、主治医、学校の教師、民生委員など、関係する様々な人々や機関から得ることもあります。
ここで重要なのは、単に断片的な事実を集めるのではなく、それらの情報がクライエントの抱える問題とどのように関連しているのかという視点を持って、体系的に情報を集積していくことです。
アセスメント
情報収集によって集められた多様な情報を、専門的な知識の枠組みを用いて分析・評価し、問題の本質を明らかにする過程が「アセスメント」です。
これは日本語で「事前評価」と訳され、ケースワークにおける「診断」に相当する中心的なプロセスです。アセスメントでは、クライエントが抱える問題は何か、その原因や背景にはどのような要因が絡み合っているのかを深く洞察します。
しかし、アセスメントは問題点や欠点のみに焦点を当てるわけではありません。同時に、クライエント自身が持つ強み、能力、そして活用できる家族や地域社会の資源(インフォーマル・フォーマルサポート)などを積極的に見出していく視点が極めて重要です。この肯定的な側面への着目が、その後の支援計画をより現実的で効果的なものにします。
アセスメントは、援助者による一方的な分析ではなく、クライエント自身の解釈や意向も踏まえながら共同で行われるべき作業であり、支援の羅針盤を定めるプロセスと言えます。
処遇計画(プランニング)
アセスメントによって問題の所在とクライエントの状況が明確になった後、次に行うのが具体的な支援計画を立てる「処遇計画」の策定です。
このプロセスは「プランニング」とも呼ばれ、援助者とクライエントが協働して、問題解決に向けた具体的な道筋を描いていく段階です。計画には、まず達成すべき最終的な目標(ゴール)と、そこに至るまでの中間的な目標を、明確かつ現実的な形で設定します。
次に、その目標を達成するために、どのような社会資源や制度を利用するのか、援助者はどのようなアプローチを行うのか、そしてクライエント自身は何に取り組むのかといった、具体的な支援内容とそれぞれの役割分担を定めていきます。ここで最も重要なのは、計画が援助者から一方的に提示されるものではなく、クライエント自身の自己決定に基づいて策定されるという点です。
クライエントが主体的に関わることで、支援への動機付けが高まり、計画の実現可能性も大きく向上します。
処遇・介入(インターベンション)
処遇計画に基づいて、具体的な支援を実行に移す段階が「処遇・介入(インターベンション)」です。これはケースワークのプロセスの中で最も活動的な局面となります。処遇の内容は、クライエントが抱える問題の性質に応じて多岐にわたりますが、大きく分けて二つの側面に分類することができます。
一つは、クライエント本人に直接働きかける「直接的処遇」です。これには、面接を通じたカウンセリングや、クライエントが自身の感情や行動への気づきを深めるのを助ける支持的・教育的な関わりが含まれます。もう一つは、クライエントを取り巻く環境に働きかける「間接的処遇」です。具体的には、家族関係の調整、公的な福祉制度の利用手続きの支援、就労先や住居の確保、関係機関との連絡調整などが挙げられます。
多くの場合、これらの直接的処遇と間接的処遇は、クライエントの状況に合わせて柔軟に組み合わされ、計画的に実行されていきます。
モニタリング
策定された支援計画を実行に移した後、その効果や進捗を継続的に見守り、検証していく過程が「モニタリング」です。
クライエントを取り巻く状況や心境は刻々と変化するため、当初立てた計画が常に最善であり続けるとは限りません。処遇が意図した方向へ進んでいるか、あるいは予期せぬ障壁が生じていないかを常に把握しておく必要があります。
援助者は、定期的な面接などを通じて、計画がもたらしている変化やクライエントの受け止め方を注意深く観察します。そして、予期せぬ困難が生じたり、より良い方法が見出されたりした場合には、クライエントと再び協議の上で柔軟に計画を修正することが求められます。
このように、モニタリングは単なる進捗確認の作業ではありません。それは、変化する状況に即応して支援の質を維持し、クライエントとの協働関係を深めながら、最終的な目標達成へと着実に歩を進めるための、不可欠なプロセスなのです。
評価と終結
支援活動がある一定期間行われた後、その効果を測定し、当初設定した目標の達成度を確認するプロセスが「評価(エバリュエーション)」です。評価は、支援がクライエントの状況改善にどの程度貢献したかを客観的に判断するために不可欠です。評価の結果、目標が達成されていれば支援は終結へと向かいますが、もし不十分な点があれば、再度アセスメントに戻って計画を修正し、支援を継続することになります。
そして、クライエントが問題を克服し、援助なしでも自立した生活を維持できると判断された時点で、援助関係を意図的に終了させる「終結(ターミネーション)」を迎えます。終結は、単に支援を打ち切ることではありません。クライエントがこれまでのプロセスを振り返って自身の成長を確認し、将来再び困難に直面した際には相談できるという安心感を持ちながら、自信を持って次のステップへ踏み出せるように支援することが重要です。
終結後のフォローアップが必要な場合もあります。この一連のプロセスは、クライエントの新たな人生の始まりを祝福する、重要な節目となるのです。
まとめ
ケースワークは、困難を抱える個人に寄り添い、その人らしい自立した生活を取り戻すための、専門的な知識と倫理に裏打ちされた援助技術です。その歴史は、先人たちが築き上げた理論と実践の積み重ねであり、リッチモンドによる科学的アプローチの確立や、バイスティックが示したクライエントとの関係性の重視など、時代と共に深化を遂げてきました。
インテークから終結に至る体系的なプロセスは、クライエント一人ひとりの人格と自己決定権を尊重し、その人が本来持つ力を引き出すことを目指します。社会が複雑化し、人々が抱える問題も多様化する現代において、個人の尊厳を守り、誰一人取り残さない社会を実現するために、ケースワークの果たす役割はますます重要性を増していくと言えるでしょう。










