社会福祉の歴史

恤救規則とは何か?無告の窮民と人民相互の情誼を中心に解説

はじめに

「恤救規則」という言葉を聞いて、「どんな制度なんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか?また、「無告の窮民」や「人民相互の情誼」という言葉に込められた意味や背景について知りたいと思った方も多いのではないでしょうか。特に社会福祉や歴史に関心がある方にとって、この制度を理解することはとても重要です。

恤救規則は、日本で初めて制定された公的な福祉制度で、困窮する人々を支援するための仕組みとして誕生しました。その根底にあるのが「人民相互の情誼」という、人と人が助け合う社会の価値観です。この記事を通して、恤救規則の基本的な仕組みや支援対象、制定に至った歴史的背景、そして現代社会における意義について、わかりやすく解説します。この制度が私たちの社会にどのような影響を与えたのか、ぜひ一緒に見ていきましょう。


恤救規則とは?その基本概要を知る。

恤救規則は、1874年(明治7年)に制定された日本初の公的福祉制度です。この規則は、生活に困窮し、助けを求める手段がない人々を支援するために作られました。明治維新による社会の急速な変化や都市化の進展は、貧困や孤立を生む原因となっていました。このような状況を受け、政府は救済の必要性に応える形で、具体的な支援制度として恤救規則を導入しました。

この制度の主な目的は、困窮して自力で生活を維持することができない「無告の窮民」を支えることでした。これにより、彼らが最低限の生活を送るための支援を提供し、社会全体の安定を図ろうとしました。恤救規則は、その後の日本の福祉政策の基盤となる重要な制度であり、当時の社会において新しい取り組みでした。

恤救規則(ジュッキュウキソク)
・制定:1874年(明治7年)
・背景:明治維新による急速な都市化や社会の変化による貧困
・目的:「無告の窮民(ムコクノキュウミン)」を救済
・歴史:日本最初の公的福祉制度

恤救規則が生まれた背景とは?歴史的な視点から探る。

恤救規則が制定される背景には、明治維新後の急速な社会変化がありました。日本は近代国家を目指し、中央集権的な行政体制を整える一方で、封建制度の解体が進み、地域社会の支援システムが崩壊していきました。この変化により、多くの人々が生活基盤を失い、特に都市部では困窮者が急増しました。

士族階級の没落はその象徴的な例です。政府が秩禄処分(武士の俸禄を廃止する政策)を行ったことで、多くの士族が収入を失い、生計を立てる手段を探し都市部へ移住しました。しかし、慣れない都市生活や職業の制約から、彼らの多くは生活に困窮しました。一方、農村部でも地租改正の影響で農民の負担が増加し、貧困層が拡大していました。

こうした状況で、特に注目されたのが「無告の窮民」と呼ばれる人々です。彼らは頼る親族や共同体を持たず、社会的に孤立した存在でした。無告の窮民の増加は、社会の安定を脅かす要因となり、政府にとっても無視できない問題でした。

これらの背景を受け、政府は社会の安定を図るための具体的な対策として、恤救規則を制定しました。この規則は、近代的な救済制度の第一歩となり、困窮する人々を公的に支援する画期的な取り組みでした。

恤救規則の背景
・明治維新による急速な社会変化
・封建制度の解体による地域社会の支援システム崩壊
・士族階級没落による士族の失業
・地租改正による農民の負担増
無告の窮民
頼る親族や共同体を持たず、社会的に孤立した存在
無告の窮民の増加は社会の安定を脅かすとして社会の安定を図るため対策を行った

恤救規則と無告の窮民:救済対象者の実態を解説

恤救規則に基づく支援は、生活に困窮した「無告の窮民」を対象として行われました。その主な内容は「米代」の支給であり、最低限の生活を維持するための措置とされていました。しかし、支援を受けられる対象者には厳しい条件が設けられていました。具体的には、70歳以上の高齢者、13歳以下の子ども、重病者、障がいを抱える人々など、自力で生計を立てることが困難な者に限定されていたのです。

さらに、支援は「居宅にいる者」に限定されており、住居を持たない路上生活者やその他の困窮者は支援の対象外となるケースが多く見られました。こうした対象の制限は、政府が国庫からの支出を抑えるという政策的な意図に基づいており、救済の範囲を必要最小限に絞り込んでいたことが影響しています。その結果、実際に支援を受けられる人々は非常に少数に限られていました。

恤救規則は、困窮者支援を国が制度として初めて取り組んだ画期的な試みでしたが、その支援内容と対象の範囲には多くの制約がありました。この制度は、当時の社会問題を根本的に解決するには至りませんでしたが、後の福祉政策を考えるうえでの重要な課題を浮き彫りにする存在となりました。

救済の内容と対象者について
・内容:米代の現金支給
・対象:無告の窮民かつ70歳以上の高齢者、13歳以下の子ども、重病者や障がいを抱える人々
・限定:居宅にいる者に限定(住居を持たない路上生活者は対象外)
・意図:政府が国庫からの支出を抑える政策意図あり

人民相互の情誼とは?理念に込められた意義

恤救規則を支える理念のひとつに、「人民相互の情誼」という考え方があります。この理念には、社会全体で困窮する人々を支え合うという思想が込められています。明治維新以降、急激な社会変化によって従来の地域社会や家族による助け合いの仕組みが崩壊しつつある中で、この理念は新しい社会的連帯を築く試みでもありました。

「情誼」という言葉は、人と人との間に生まれる思いやりや友情を意味します。恤救規則では、この情誼を公的な制度として形にすることで、社会全体が弱者を支える仕組みを作り出そうとしました。政府はこの理念を掲げることで、国民に対して制度の正当性を訴え、協力を呼びかけました。情誼の精神は、個々人の倫理観や道徳意識にも訴えかけるものであり、助け合いの社会を目指すメッセージを含んでいます。

しかし、現実の運用では財政的な制約や支援対象の限定があったため、「人民相互の情誼」という理念が十分に実現されたとは言えません。それでも、この理念が後の福祉政策に影響を与えた点は重要です。公共の福祉を重視するこの考え方は、現代の福祉政策にも受け継がれる価値観として位置づけられています。

人民相互の情誼
・理念:社会全体で困窮する人々を支え合うという思想
・情誼の意味:人と人との間に生まれる思いやりや友情
・メッセージ:助け合いの社会を目指す

恤救規則のその後:現代の福祉制度への影響

恤救規則は、1874年(明治7年)に制定された日本初の公的な福祉制度ですが、国家が全面的に困窮者支援の責任を負うものではありませんでした。この制度では、親族や地域社会からの支援が得られない「無告の窮民」に限り、最終的な救済手段として国庫からの支援が提供される仕組みでした。そのため、支援対象や内容には厳しい制約があり、国の救済責任は非常に限定的なものでした。

当時の政府は、財政負担を抑えることを最優先としていました。困窮者支援の基本は、まず血縁や地縁による相互扶助を前提とし、それが得られない場合にのみ公的支援が行われるという考え方でした。この制度は、国家が支援の主体となる新しい仕組みを示した一方で、全ての困窮者を救うには不十分なものでした。

1932年(昭和7年)に施行された救護法は、この恤救規則の枠組みを基盤として、支援対象や内容を大幅に拡充しました。救護法を経て、日本の福祉政策はさらなる発展を遂げ、現代の生活保護制度へとつながっています。この過程において、恤救規則は福祉政策の歴史における出発点として重要な役割を果たしました。

恤救規則は、その制約の多さから当時の社会問題を十分に解決することはできませんでしたが、制度として困窮者支援を法制化した意義は非常に大きいと言えます。その理念と実践は、現代の福祉制度においても引き継がれています。

困窮者支援
・国家が全面的に困窮者支援の責任を負うものではなかった
・困窮者支援の基本は、まず血縁や地縁による相互扶助を前提とし、それが得られない場合のみ公的支援が行われる考え方
・福祉政策の歴史における出発点で、現代の生活保護制度へとつながる

社会福祉士国家試験

社会福祉士国家試験にも恤救規則について出題されているのでご紹介します。

第23回・問題56

第23回・問題56我が国の公的扶助制度の沿革に関する次の記述のうち、正しいものを一つ選びなさい。
選択肢1恤救規則(明治7年)では、生活に困窮する「無告の窮民」に対し米の現物給付を行った。
選択肢2救護法(昭和4年)では、救護を受ける者は施設に収容することを原則とした。
選択肢3救護法(昭和4年)では、救護の対象となる者について、扶養義務者が扶養できる場合には、急迫した場合を除き救護しないとされた。
選択肢4旧生活保護法(昭和21年)では、能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は、急迫した場合を除き保護の対象から除外された。
選択肢5旧生活保護法(昭和21年)では、日本国憲法に基づく健康で文化的な最低生活保障の考え方を導入した。

恤救規則生活に困窮する「無告の窮民」に対し米の現物給付を行った。
×米代を現金支給したので誤り
救護法救護を受ける者は施設に収容することを原則とした。
×基本は居宅保護のため誤り
救護法救護の対象となる者について、扶養義務者が扶養できる場合には、急迫した場合を除き救護しないとされた。
〇正しい内容、その他欠格条項のある人も対象から除外
旧生活保護法旧生活保護法(昭和21年)では、能力があるにもかかわらず勤労の意思のない者は、急迫した場合を除き保護の対象から除外された。
×欠格条項があったのは正しいですが、急迫した場合も対象から除外
新生活保護法日本国憲法に基づく健康で文化的な最低生活保障の考え方を導入した。
×選択肢は旧生活保護法になっているので誤り

よって正解は選択肢3になります。


まとめ

恤救規則は、日本における福祉政策の原点として、困窮者支援を公的な制度として位置づけた重要な取り組みでした。この制度には、支援対象の制限や財政的な課題がありましたが、「無告の窮民」を救済し、「人民相互の情誼」という助け合いの理念を社会に広める大きな役割を果たしました。この理念はその後の福祉政策の基盤となり、現代の生活保護制度や社会福祉政策に引き継がれています。

現代に生きる私たちにとっても、困窮者を支援し、社会全体で助け合うことの意義は変わりません。恤救規則の歴史を学ぶことで、福祉政策がどのように発展してきたのか、その背景を深く理解することができます。また、こうした知識は、より良い社会を築くための視点を提供してくれるでしょう。

もしこの記事が興味を引いたなら、ぜひ現代の福祉制度や地域の支援活動についてさらに調べてみてください。あるいは、地域の福祉活動に参加したり、身近な人々と助け合いの大切さについて話し合うのも良いきっかけになるでしょう。小さな行動が、より大きな社会の変化につながるかもしれません。恤救規則の理念を現代に生かし、より良い社会を目指して一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。


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