社会福祉の歴史

民生委員の歴史と役割|済世顧問制度と方面委員制度

はじめに

本記事は、地域住民の身近な相談相手である民生委員についての紹介と、その源流である済世顧問制度や方面委員制度について内容をわかりやすくまとめております。

岡山の済世顧問制度、大阪の方面委員制度としてはじまった民生委員制度は100年を経過しました。

人口減少社会に伴って、その担い手も不足していく課題もありながら、一方でその役割は今後もますます重要になってきます。

以下民生委員の役割や歴史について触れていきますので、良かったらどうぞご覧ください。


民生委員とは?

民生委員は「地域住民の身近な相談相手」として、地域福祉を支えております。

見守りや訪問、相談、調査を通じて、地域住民の様々な困りごとやニーズを把握し、必要に応じて専門機関へつなぐ役割を担っております。

ポイント

・地域住民の身近な相談相手や見守り役

・専門機関への「つなぎ役」

・厚生労働省から委嘱

・児童委員を兼ねる

・無報酬のボランティアとして活動

・任期3年(再任可能)

このように民生委員は、「支えあう 住みよい社会 地域から」を活動スローガンとして、皆さんがそれぞれ住む地域を支えております。


民生委員の7つのはたらき

民生委員の活動には7つのはたらきがあるということで以下ご紹介になります。

1.社会調査

・担当区域内の住民の実態や福祉ニーズの把握

2.相談

・地域住民が抱える課題について、その人の立場になって受け止める

3.情報提供

・社会福祉の制度やサービスについて情報を提供

4.連絡通報

・関係機関と連絡連携し、必要に応じた福祉サービスを得られるよう働きかける

5.調整

・地域住民の福祉ニーズに対応し、適切なサービスが提供されるようつなぎ役として支援

6.生活支援

・地域住民が必要とする生活支援活動を行い、また支援体制を構築する

7.意見具申

・活動を行う上で出てきた問題点や改善点をまとめ、関係機関等に意見を提起

このように民生委員は日々地域住民や地域福祉を支えております。

参考:民生委員・児童委員活動の7つのはたらき https://www2.shakyo.or.jp/zenminjiren/7works/


民生委員児童委員信条

100年を超える歴史がある民生委員は、その基本的姿勢を表した「民生委員児童委員信条」というものが存在し、座右の銘として受け継がれております。

信条

一、わたくしたちは隣人愛をもって社会福祉の増進に努めます

一、わたくしたちは常に地域社会の実情を把握することに努めます

一、わたくしたちは誠意をもってあらゆる生活上の相談に応じ、自立の援助に努めます

一、わたくしたちはすべての人々と協力し明朗で健全な地域社会づくりに努めます

一、わたくしたちは常に公正を旨とし人格と識見の向上に努めます

「隣人愛」「誠意」「協力」「人格」「識見」といった「倫理観」や「価値観」が民生委員には求められ、長きに渡りその精神が今もなお受け継がれております。


エルバーフェルト制度

ドイツで行われたエルバーフェルト制度は、日本における民生委員制度を展開する上で手本にされたものとされております。

「”エルバーフェルト制度は、1952年エルバーフェルト市に採用されたもので、名誉職としての救貧委員により、少数の受持を決め、貧民の生活事情を精査し、その救済と予防に万全をつくすもので、日本の民生委員制度(旧方面委員制度)が手本にしたものである。”」

※社会事業の基礎知識(ナーセス・ライブラリー)孝橋正一著 医学書院 P47引用 国立国会図書館デジタルコレクションより

このエルバーフェルト制度は第一次世界大戦まで約60年間もの間続き、イギリスの慈善組織協会や日本の民生委員制度などにも影響を与えたものになります。

以下、民生委員の源流である済世顧問制度や方面委員制度について触れていきます。


済世顧問制度

民生委員制度の起源は大正時代の岡山県に遡ります。

時代は第一次世界大戦、日本は大戦景気となり、産業や経済は好況を呈しておりました。

※一方で人々の生活はその後米騒動に代表されるよう苦しい現状がありました。

1916年(大正5年)に当時の慣例として「天皇の御下問」があり、岡山県の笠井知事に関しては「県下における貧民は如何に暮せる乎」という全く予想しない内容でありました。

帰任後、笠井知事は調査を行い、県税戸数割賦課等最下級の者が10万人以上おり、県民の1割は極貧状態であるという驚くべき事実を発見することになります。

決意

「心血を注ぎて考慮を重ね、県より貧乏を駆逐する方策を立てねばならぬ」と笠井知事は決意する

中国の古典や、仏教の経典、西欧の哲学や宗教に構想の源を探り、連日思考を重ね、「済世顧問制度の大綱」を掲げる

☆参考:民生委員制度五十年史 全国社会福祉協議会 P9 国立国会図書館デジタルコレクションより


大綱

一、防貧事業は精神的、物質的貧を対象となし当該者及び其の周囲環境に改善を加へ活動過程に入らしむる事

一、県内市町村行政区域を基本となし、其の区域内に在住の有力者に依嘱し防貧事業を遂行する事

一、防貧事業依嘱者は済世顧問と名付くる事

一、依嘱は関係郡市町村長及び警察署長の一致推進と県庁の同意とを必要とする事

一、依嘱は慎重厳選し万遺算なきを期する事

一、郡市町村及び関係警察署の推薦の大体の標準は、一、人格正しき事 二、心身健全なる事 三、相当学識寧ろ常識に富める事 四、同情心に富み世話好きなる事 五、其の区域内に凡ての信望ある事、殊に金銭上の信用のある事 六、相当資産ある事 七、温厚篤実而も辛抱強き事 八、世の変遷に理解ある事 九、相当の弁舌ある事 十、家庭の評判善き事

一、済世顧問の員数は、市は適当の方面に分ち担当者を定め、町村は大体一名となし何れも実施後必要に応じ増員し得る事にする事

一、済世顧問は事業遂行上必要ある時は県庁関係官公衙の助力を請求し得る事、顧問の請求なくも官公衙は直接間接の便宜を提供する事

一、済世顧問相互は連絡をとり事業遂行上互に便宜を提供する事

一、任期を設けず終生の事業として努力を望む事

一、済世顧問は救済したる事項を随時県庁の報告する事

一、県庁は連絡を保つ為、吏員をして随時済世顧問を訪問協議する事

一、済世顧問の働き振りに対しては県庁として感謝、旌表、相当の用意あるべき事

一、済世顧問は相当部内に資産力下向きの者あるときは貧困にあらずとも相当注意する事

一、済世顧問は部内の善行者に対し相当助力し又は県庁に其の事績を報告する事

一、済世顧問は他の社会事業中実質に於て相当と認るときは適宜助成し且つ連絡を保つべき事


☆引用:同書P9~10


こうして笠井知事の努力により、1917年(大正6年)5月12日に岡山県済世顧問設置規定として交付されます。

その後大正6年末には65人、大正7年には88名、大正8年には110名、大正9年には113名、大正10年には122名へが嘱託されていきます。

また済世顧問は人材の嘱託に際して「則闕主義」をとっていたという特徴もあります。

則闕主義(そっけつしゅぎ)

適任者がいない場合は欠けたままにしておくこと


済世顧問制度設立の翌年には「米騒動」が発生しました。

社会情勢も変わっていく中、済世顧問制度の補助機関として、済世委員制度を設けました。

済世顧問制度が人を中心とした「則闕主義」をとっていたのに対して、済世委員制度は組織を中心とした「必置主義」として展開されていきます。

こうして岡山県ではじまった済世顧問制度、済世委員制度は、大阪の方面委員制度の成立へ影響を与えることとなります。


方面委員制度

岡山県で済世顧問制度が設立された翌年、今度は大阪で方面委員制度が設立されます。米騒動を契機に、社会情勢の変化と対応が求められる時代の背景がありました。

大阪府当時の林市蔵知事が、「健全なる大阪市、健全なる大阪府の建設」を理念に掲げ、社会事業の権威でもあった小河滋次郎法学博士と結び、詳細な調査研究のうえ、「大阪府方面委員規定」を策定しました。

そして、1917年(大正7年)10月7日に大阪府方面委員規定が公布されます。

方面委員は「必置主義」をとる「組織」を中心とした制度で、また方面委員の「方面」は「地域」を意味します。

とりわけ工業地区、労働者居住地から重点的に設置し、大阪市内を中心に拡大していきます。そして公布した月の末には、市内16か所、206名もの委員が嘱託され、その後も拡大していきます。


夕刊売り母子の挿話

大正7年(1918年)秋の夕暮れ、現在の大阪市中央区にある理髪店で大阪府の林市蔵知事が散髪をしていました。鏡に写る街の風景を見るともなしに見ていた林知事は、ある一点に釘づけになります。それは、40歳くらいの母親と女の子が夕刊を売る姿でした。
 散髪を終えた林知事は、その夕刊売りに近づき、夕刊を1部買って話かけた後、その足で近くの交番に立ち寄り、この夕刊売り母子の家庭状況の調査を依頼しました。
後日、巡査から次のような報告があります。街角で見かけた母親は、夫が病に倒れ、3人の子どもを抱え、夕刊売りでやっと生計を立てているとのこと。子どもたちは、学用品も買えず、学校にも通っていません。
 そのことを聞いた林知事は、自らの幼い頃の貧しい生活を思い起こすと同時に、このような母子は他にもいるはずだと考え、救貧・防貧の制度の必要性を痛感したのでした。

引用:大阪市中央区HP「民生委員制度の歴史」より


方面委員から民生委員へ

方面委員制度はその後「民生委員」へと改名されていきます。

第二次世界大戦後、生活保護法と共に、「民生委員令」が1946年に公布され、方面委員は民生委員となります。

その際、補助機関から「協力機関」と位置づけも改められます。

また、1947年には児童福祉法が公布され、児童委員制度が創設され、民生委員が児童委員を兼任することとされます。


生活保護制度についての沿革や歴史まとめ|社会福祉の発展過程を辿る - SOCIAL CONNECTION (socialconnection-wellbeing.com)


まとめ

以上が民生委員やその源流である済世顧問制度や方面委員制度についての概要になります。

このように福祉というものは、職業としてその役割を担うものもあれば、民生委員のようにボランティアとして役割を担う人たちも存在します。

きっと皆さんの地域にも、様々な市民活動やボランティア活動、団体等で活動されている人たちが社会や地域の福祉を支えております。

そのような人たちの存在を見つけ、広く人々に伝えることも、また専門職の役割でもあります。

将来的に当ホームページでも、人々に焦点を当てた内容を発信していきたいと構想しております。

ここまでご覧いただきありがとうございました。引き続きどうぞよろしくお願いします。


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