社会福祉の知識

社会モデルと医学モデルの違いをわかりやすく解説!

障害の捉え方には、その原因を個人に求める「医学モデル」と、社会の側に障壁を見出す「社会モデル」という、二つの大きな考え方が存在します。このモデルの違いを理解することは、社会の仕組みそのものへの見方を転換させ、より良い共生社会を築くための重要な第一歩です。

ある人が建物に入れない状況を想像してみてください。その原因は個人の能力にあるのでしょうか、それとも建物の構造という社会の側にあるのでしょうか。インクルーシブな社会の実現が求められる現代において、後者の視点、すなわち社会モデルは重要な意味を持ちます。

本記事では、この二つのモデルの本質的な違いを、具体的な事例と共に丁寧に紐解いていきます。




社会モデルとは?

社会モデルとは、障害の本質を個人の心身機能に求めるのではなく、社会の構造に潜む「障壁」に見出す考え方です。

ある人の活動が制限されたり、社会参加が妨げられたりする原因は、その人の能力不足にあるのではなく、多様な人々が共存することを前提としてこなかった社会の仕組みそのものにあると捉えます。

この視点に立つことで、問題の所在は個人から社会へと大きく転換します。車椅子ユーザーが建物に入れないのは、本人の歩行能力ではなく、階段しかない建物の構造という物理的な障壁が原因です。また、会議の内容を理解できない人がいるのは、その人の聴力にではなく、手話通訳や文字情報といったコミュニケーションの支援が用意されていない環境そのものに障壁が存在するのです。

したがって、社会モデルが求めるのは、個人に対する治療や訓練を通じた適応ではありません。社会を構成する私たちが、物理的な環境、法律や制度、さらには固定観念といった無意識の障壁を取り除き、社会の側を変革していくことこそが本質的な解決策だと主張します。

障害とは個人と社会の関係性の中で生まれるものであり、誰もが自分らしく参加できる環境を構築する責任は社会にあるという、根本的な問いを投げかけているのです。


社会モデルのメリット

社会モデルの考え方がもたらす最大の利点は、障害のある当事者と社会、その両方に変革をもたらす視点を与える点にあります。

これまで個人の課題とされてきた困難が、社会全体の課題として捉え直されることで、当事者は不必要な自己否定や責任感から解放されるのです。「できない」のは本人の努力不足ではなく、社会の仕組みに問題があるという認識は、当事者の自己肯定感を育む上で極めて重要な意味を持ちます。

さらに、この視点は社会全体にも大きな恩恵をもたらします。多様な人々が直面する障壁を取り除く過程は、結果として誰もが暮らしやすいユニバーサルな環境の創出に直結します。建物にスロープを設置すれば、車椅子ユーザーだけでなく、ベビーカーを押す人や重い荷物を持つ人の助けにもなるでしょう。障壁を解消するための工夫や技術開発は、新たなイノベーションの源泉ともなり得るのです。

このように、社会モデルは個人の尊厳を守ると同時に、社会全体の成熟と発展を促す、建設的な思想といえます。障害を社会との関係性で捉えることで、私たちはより公平で豊かな共生社会への道筋を描くことができるようになります。


社会モデルのデメリット

社会モデルは障害の捉え方に革新的な視点をもたらしましたが、その考え方を現実社会に適用する上ではいくつかの課題や批判も指摘されています。

最も大きな論点の一つは、個人の身体的な苦痛や精神的な困難といった、内面的な経験を軽視してしまう危険性です。社会の障壁を取り除くことに主眼を置くあまり、病気や怪我そのものがもたらす痛みや、医療的なケアの必要性といった、当事者が日々直面する切実な問題が見過ごされかねないのです。

また、社会の変革には、物理的な障壁の除去だけでも膨大なコストと時間を要するという現実的な問題があります。法律や制度の改正、そして人々の意識改革に至っては、さらに長期的な取り組みが不可欠です。理想として社会モデルを掲げることは重要ですが、その実現への道のりは決して平坦ではなく、具体的な成果が見えにくいという側面も持ち合わせています。

さらに、全ての困難を社会の責任に帰結させることで、かえって個人の主体性や、困難を乗り越えようとする力を過小評価してしまうという意見も存在します。障害のある人自身が望む医療的なサポートや、能力を最大限に活かすためのリハビリテーションの重要性もまた、無視することはできません。

社会モデルの理念を追求しつつも、個人の多様なニーズや現実に目を向けるバランス感覚が求められるのです。


社会モデルを活用した具体例

社会モデルの考え方は、すでに私たちの身の回りの様々な場面で具体的な形となって活かされています。わかりやすい例として、街中で目にする物理的な環境の整備が挙げられます。

駅に設置されたエレベーターや、歩道の段差をなくしたノンステップバスは、車椅子ユーザーや高齢者だけでなく、多くの人々の移動を容易にしました。これは「移動の困難さ」を個人の身体能力の問題とせず、社会インフラの側に存在する障壁を取り除くという発想に基づいています。

また、情報アクセシビリティの向上も社会モデルが推進した重要な変化です。

テレビ放送における字幕や手話通訳の導入は、聴覚障害のある人々が情報から孤立するのを防ぎました。ウェブサイトの設計において、文字の拡大機能や音声読み上げソフトへの対応を標準化する「ウェブアクセシビリティ」の考え方も、視覚障害の有無にかかわらず誰もが情報にアクセスできる環境を目指す、社会モデルの実践といえるでしょう。

さらに、制度的な側面では「合理的配慮」の提供が挙げられます。

これは、障害のある人が他の人々と平等な機会を得られるよう、個別の状況に応じて過度な負担にならない範囲で必要とされる変更や調整を行うという考え方です。試験時間を延長したり、職場でのコミュニケーション方法を工夫したりといった対応は、個人の能力不足を補うのではなく、社会の側が柔軟に変化することで、誰もがその能力を発揮できる環境を整えるという社会モデルの理念を体現しています。



医学モデルとは?

医学モデルとは、障害を個人の身体的、あるいは精神的な機能不全や病理、欠損として捉える考え方です。

この視点において、障害はあくまでその人自身に内在する「問題」であり、健常とされる状態からの逸脱と見なされます。社会生活における困難や不利益が生じる根本的な原因は個人の心身の状態にあるというのがこのモデルの基本的な立場です。

この考え方に基づくと、問題解決のアプローチは必然的に、専門家による医療的な介入が中心となります。医師による診断、治療、そしてリハビリテーションといったプロセスを通じて、障害のある人自身を可能な限り「正常」な状態に近づけ、社会の既存の仕組みに適応できるようにすることを目指すのです。

つまり、社会のあり方は固定的なものとして前提に置かれ、変化を求められるのは常に個人側である、という構図が生まれます。

具体的な例を挙げれば、車椅子ユーザーが階段のある建物に入れない場合、医学モデルではその原因を「歩行能力の欠如」という個人の機能障害に求めます。そして、その解決策として、歩行訓練や治療によって本人の身体機能の回復を図ることに主眼が置かれるでしょう。

このように、医学モデルは障害という事象を個人の問題として切り取り、その人自身を治療や訓練の対象として捉えるアプローチであるといえます。


医学モデルの沿革

医学モデルの考え方が社会の主流となったのは、近代医学が目覚ましい発展を遂げた19世紀以降のことです。

科学的合理主義の台頭と共に、人々の健康や身体は専門家である医師が管理・治療すべき対象と見なされるようになり、障害もまた、病気や怪我と同様に医学的なアプローチで克服すべき個人の課題として位置づけられました。

この時代、工場労働に代表されるような、特定の身体能力を持つ労働力が社会の生産性を左右するようになると、その「標準」から外れた人々は非生産的、あるいは保護や管理の対象と見なされる傾向が強まります。その結果、障害のある人々を専門施設に隔離し、専門家による治療や訓練を通じて社会復帰を目指す、という仕組みが各地で整備されていきました。

こうした流れは、20世紀の福祉政策や教育の分野にも大きな影響を与えました。医療技術の進歩は、多くの命を救い、身体機能の回復に大きく貢献した一方で、障害を「個人の不幸な出来事」として捉え、社会から切り離して専門家の管理下に置くという構造を固定化させる側面も持っていました。

社会モデルが登場する以前、この医学的な視点は障害を語る上で、ほとんど疑われることのない支配的なパラダイムとして機能し続けたのです。



医学モデルと社会モデルの違い

医学モデルと社会モデルの最も本質的な違いは、障害の原因をどこに求めるかという視点の置き方に集約されます。

両者は同じ事象を見ながらも、その問題の所在を全く異なる場所に設定しているのです。この根本的な差異が、解決策のアプローチや当事者の捉え方など、あらゆる側面における対立軸を生み出しています。

医学モデルが障害の原因を個人の心身機能にあると見なすのに対し、社会モデルは社会の側に存在する物理的・制度的な障壁こそが原因であると主張します。前者が「個人の身体」に焦点を当てる一方で、後者は「個人と社会との関係性」に着目するのです。この視点の違いは、目指すべきゴールを大きく変えます。

したがって、問題解決の方法も正反対の方向を向きます。医学モデルは、治療やリハビリテーションを通じて個人が社会に適応することを目指す、いわば「個人を変える」アプローチを取ります。対照的に社会モデルは、障壁となる環境や制度を取り除くことで、社会が多様な個人を受け入れるべきだとする「社会を変える」アプローチを重視します。

この違いは、障害のある当事者をどのような存在として捉えるか、という点にも色濃く反映されます。医学モデルにおいて当事者は、専門家による支援や治療を受ける「患者」や「保護の対象」と位置づけられがちです。しかし社会モデルでは、社会変革を主体的に要求する「権利の主体」として、その存在が尊重されるのです。


個人の問題は社会の問題でもある

医学モデルから社会モデルへの視点の移行は、単なる理論上の変化にとどまらず、障害をめぐる社会全体の責任のあり方を根本から問い直す、重大なパラダイムシフトを意味します。かつては個人の努力や能力、あるいは運命の問題として片付けられてきた困難が、今や社会全体で取り組むべき公共的な課題として認識されるようになったのです。

この転換の背景には、障害のある当事者自身が自らの権利を主張し、社会参加への障壁撤廃を求めてきた力強い運動の歴史があります。彼らの声は、「障害は治療すべき個人の欠陥ではなく、社会が作り出している抑圧である」というメッセージを社会に突きつけ、従来の常識を大きく揺さぶりました。

誰かが困難を感じているとき、その原因を安易にその人自身に求めるのではなく、まず私たちの社会の側に何か見直すべき点はないかと自問すること。この思考の転換こそが、社会モデルの核心です。それは、障害のある人だけの問題ではなく、高齢者、子ども、外国人など、社会に存在する多様な人々すべてが暮らしやすい環境をどう構築していくか、という普遍的な問いへとつながっていきます。

障害の捉え方が「個人の問題」から「社会の問題」へと移行したことは、私たちがより成熟したインクルーシブな社会を築いていく上での、不可欠な基盤となっているのです。



まとめ

「障害の原因を個人に求める医学モデルから、社会の側に潜む障壁に見出す社会モデルへ」

本記事では、この二つの根本的な視点の違いを解説してきました。

社会モデルの考え方を理解し、日常に活かすことは、障害の有無にかかわらず、誰もが尊重され、その能力を最大限に発揮できるインクルーシブな社会を築く上で不可欠な羅針盤となります。

私たちの身の回りには、まだ気づかれていない多くの障壁が潜んでいるかもしれません。日常の風景をこれまでと少し違う視点から見つめ直すこと、それこそがより良い社会を創造する確かな一歩となるはずです。


オススメ記事一覧

1

はじめに 本記事は、社会福祉を学ぶ方向けに、ブースとラウントリーの貧困調査についての要点やキーワードをわかりやすくまとめております。 ブースは汽船会社の実業家として、ラウントリーはチョコレート会社の跡 ...

2

本記事では、F.バイスティックが提唱した「バイスティックの7原則」について、援助関係の本質という視点から、医療・介護・福祉・保育といった対人援助職に従事する方々に向けて、基本から応用までの知識をわかり ...

3

はじめに 本記事では、慈善組織協会(COS)について、イギリスやアメリカにおける歴史展開や社会福祉士国家試験について網羅的な情報をまとめております。 社会福祉を学ぶ方には必見の内容となっております。 ...

4

はじめに 本記事では、「福祉とは何か?」と「福祉の人は誰か?」について考えるというテーマで、福祉に関心のある人に向けたコラムをまとめていきます。 皆さんの中にもきっと「福祉って何だろう?」という問いを ...

5

はじめに 本記事では、ソーシャルワークの理論の起源でもある「診断主義アプローチ」について、専門書を参考文献に要点やキーワードをまとめております。社会福祉士国家試験合格を目指す方や、社会福祉を学ぶ方にと ...

-社会福祉の知識