はじめに
本記事では、「サッチャリズム」と呼ばれたイギリス保守党のマーガレット・サッチャー政権における福祉政策として代表的な「グリフィス報告」と「ワグナー報告」について解説していきます。またその後のブレア政権の「第三の道」や、社会福祉士国家試験についての情報も詳細にわかりやすくまとめております。
これまでの振り返り
まずはじめに、イギリスの福祉国家体制からの流れについて振り返っていきます。
ベヴァリッジ報告
ベヴァリッジ報告(1942年)は、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家理念を提唱し、社会改革の基盤を示しました。報告では、窮乏、疾病、無知、不潔、怠惰の「5つの巨人」を克服するため、社会保険制度や社会保障制度の重要性を強調。さらに、最低限度の生活を保障する「ナショナルミニマム」の原則を掲げ、社会保険、国民扶助、任意保険の3つで社会保障を構成しました。また、児童手当、包括的な医療・リハビリサービス、雇用維持を前提条件とし、国民全体の福祉向上を目指しました。
ヤングハズバンド報告
第二次世界大戦後のイギリスでは、「国営保険医療サービス」や「国家扶助法」などの法律が成立し、地方自治体によるソーシャルワークが展開されました。しかし、専門資格を持たないソーシャルワーカーの増加が課題となり、1955年に「ヤングハズバンド委員会」が設置されました。同委員会の報告(1959年)は、ソーシャルワークの統合化と教育体制の強化を提唱し、資格認定機関「ソーシャルワーク研修協議会」の設立につながりました。
シーボーム報告
1965年に設置された「シーボーム委員会」は、1968年に「シーボーム報告」を公表しました。この報告では、地方自治体のパーソナル・ソーシャル・サービスの不統一な運営を見直し、「地域」を基盤とした統合的な運営を提唱しました。これにより、個人や家族中心の支援から、地域全体を対象としたサービスへと転換が進みました。具体的には、人口5~10万人の地域ごとに10~12名のソーシャルワーカーチームが担当する仕組みが導入されました。
バークレイ報告
1970年代、イギリスは石油ショック(1973年)やポンドショック(1976年)の影響で経済が低迷する一方、高齢化や失業率の増加など福祉課題が拡大しました。これを受け、福祉政策の見直しが進められ、1980年には「バークレー委員会」が発足。ソーシャルワーカーの役割と任務が再検討され、1982年に発表された「バークレー報告」で、コミュニティ・ソーシャル・ワークの重要性が提唱されました。この報告は地域福祉を基盤とする新時代の到来を示しました。
サッチャリズムの小さな政府
サッチャリズムは、1979年から1990年まで続いたマーガレット・サッチャー政権の下で展開された政治手法と思想を指します。
イギリス経済は1960年代半ばから低迷し、1976年には国際通貨基金(IMF)からの融資を受ける事態に陥りました。1978年から79年の「不満の冬」に象徴される社会的混乱を経て、1979年の総選挙で保守党が大勝し、サッチャー政権が誕生しました。
サッチャー政権は、経済低迷の原因を福祉国家体制にあるとし、過剰な国家負担や福祉への依存が国際競争力を低下させたと批判し、福祉国家の基盤を再構築するのではなく縮小を目指しました。スローガン「ヴィクトリア朝に帰れ」に象徴されるように、自立を基盤とする自由市場経済と小さな政府を志向し、公共部門の大幅な削減を実施しました。
具体的には、住宅政策や社会保障、社会福祉分野の公的支出を抑制し、民間セクターへの依存を推進します。これにより、福祉国家を基盤とした社会モデルから、個人や市場主導のモデルへと転換を図りました。この政策理念と実践は、「反福祉主義」とも称され、国内外で議論を呼びましたが、イギリス社会に大きな転換点をもたらしました。
グリフィス報告
グリフィス報告は、1986年末に社会サービス担当国務相ノーマン・ファウラーの諮問を受けたグリフィス卿によって作成され、1988年に公表されました。この報告は、コミュニティ・ケアの財政問題や運用の課題に対応するための提言をまとめたもので、以下の3点が主な内容です。
1. 中央政府の役割:コミュニティ・ケアの目標と優先順位を明確化し、財政的責任を中央政府が負うべきと提言しました。
2.地方自治体の役割:地方自治体の社会サービス部が主要な役割を担い、保健部や住宅部と連携し、個人のニーズに基づいたケア・パッケージを提供する仕組みを構築することを求めました。
3.多様な提供者によるケア:ケアは利用者の選択を尊重し、公的部門のみならず、民間部門(営利・非営利)やインフォーマル部門も含めた多様な提供者によって行われるべきとしました。
この報告の内容は、サッチャー政権が推進していた民営化の方向性と完全には一致せず、特に中央政府の財政責任を強調する部分は議論を呼びました。しかし、報告は最終的に政府に受け入れられ、コミュニティ・ケア政策における転換点となりました。グリフィス報告は、ケアの質を向上させるための方向性を提示し、イギリスの福祉政策に大きな影響を与えました。
ワグナー報告
ワグナー報告は、1985年にジリアン・ワグナーを委員長とする「入所施設ケアに関する独立検討委員会」により発足し、1988年に公表された報告書「施設ケア――積極的選択」(Residential Care: A Positive Choice)の通称です。この報告は、入所施設ケアの現状を再検討し、より効果的に社会的ニーズに応えるための提言を行いました。
報告では、入所施設が放任や虐待、不十分な職員研修、モラルの低下など、多くの問題を抱えていると指摘しながらも、入所施設を「積極的選択」の一つとして位置付けました。施設ケアが単なる消極的な選択肢ではなく、利用者が自らの意志で選ぶ価値のあるケア形態となるよう、質の向上が求められると強調しています。
また、ケア職員の地位や待遇にも焦点を当て、職員を「中心的な資源」として適切に評価し、一般職や専門職としての格付けを見直すべきだと提言しました。その他統一的な賃金と労働条件の整備が必要であると地方自治体に求めています。
ワグナー報告は、「在宅ケア」対「施設ケア」という二分論を否定し、ケアの場は利用者自身が選ぶべきとの視点を提示しております。施設ケアをより良い選択肢とするための改善策を示し、ケアの質と職員の待遇向上に向けた重要な転換点となりました。
☆参考文献 社会福祉のあゆみ 金子光一 有斐閣アルマ 第12章 近年のイギリスにおける福祉改革P179~186
その後の展開(ブレア政権)
その後イギリスでは、サッチャー政権を引き継いだメージャー政権下では最終的に保守党支持の低迷を迎え、その後は労働党のトニー・ブレアによる政権へと代わります。ブレア政権は「第三の道」「福祉から就労へ」「国民保健サービス(NHS)改革」などイギリス社会の変革を試みました。
ブレア政権の「第三の道」は、経済学者のアンソニー・ギデンズが提唱したもので、従来の社会主義と新自由主義の対立を超え、両者の利点を融合した新しい政策理念として打ち出されたものになります。市場経済を尊重しつつも、社会的公正を追求するこのアプローチでは、イギリスの福祉政策の再構築が行われます。
最低賃金の導入や、福祉受給者が労働市場に復帰できる支援策(福祉から就労へ:ポジティブウェルフェア)により、貧困層の生活向上と自立を目指しました。また、教育や医療分野への大規模な投資を行い、特に国民保健サービス(NHS)の改革では、医療サービスの質向上と利用者の利便性を高める取り組みが進められました。これにより、公共サービスの改善と持続可能性が図られました。
さらに、「コミュニティの再生」を掲げ、地方自治体や市民団体との協働による社会的包摂を強化し、すべての人々に公平な機会を提供することを目指しました。この「第三の道」は、福祉国家と市場経済の調和を目指した革新的な政策モデルとして、イギリス社会に大きな変化をもたらしました。
社会福祉士国家試験
社会福祉士国家試験でも、上記内容が出てきておりますので以下確認していきます。
社会福祉士国家試験問題
第22回・25問 | 福祉を取り巻く現代社会の動向に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | ウルリッヒ・ベック(Beck,U.)は、『危険社会」の中で、現代社会は、核兵器や環境破壊などの問題が深刻化したため、個人の生活がこれまで以上に集合体に依存するようになっていると主張した。 |
選択肢2 | アンソニー・ギデンズ(Giddens,A.)は、社会民主主義的な福祉国家でもなく、サッチャリズムに象徴される市場原理主義でもない「第三の道」という考え方を提唱して、イギリスのブレア政権の福祉政策のあり方に影響を与えた。 |
選択肢3 | ダニエル・ベル(Bell,D.)は、『ポスト工業化社会の到来』の中で、ポスト工業化の時代には「新しい知識階級」が、金融や情報に関する新しい技術を駆使しながら「経済学化様式」に立脚した意思決定を行うと主張した。 |
選択肢4 | ジョセフ・スティグリッツ(Stiglitz,J.)の著書の題名になった「底辺への競争」という現象は、経済のグローバル化によって途上国が一層、底辺化することである。 |
選択肢5 | ロバート・ピンカー(Pinker,R.)は、福祉サービスはインフォーマル部門、ボランタリー部門、公共部門という3つの部門によって多元的に供給されるという福祉多元主義の考え方を示した。 |
第29回・33問 | イギリスの各種の報告書における地域福祉に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。 |
選択肢2 | エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。 |
選択肢3 | ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。 |
選択肢4 | バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。 |
選択肢5 | グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。 |
第32回・25問 | 「ベヴァリッジ報告」に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | 福祉サービスの供給主体を多元化し、民間非営利団体を積極的に活用するよう勧告した。 |
選択肢2 | 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。 |
選択肢3 | ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告した。 |
選択肢4 | 衛生・安全、労働時間、賃金、教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。 |
選択肢5 | 社会保障計画は、社会保険、国民扶助、任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。 |
それぞれについて解説していきます。
解説1
第22回の問題25について以下解説になります。
第22回・25問 | 福祉を取り巻く現代社会の動向に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | ウルリッヒ・ベック(Beck,U.)は、『危険社会」の中で、現代社会は、核兵器や環境破壊などの問題が深刻化したため、個人の生活がこれまで以上に集合体に依存するようになっていると主張した。 |
選択肢2 | アンソニー・ギデンズ(Giddens,A.)は、社会民主主義的な福祉国家でもなく、サッチャリズムに象徴される市場原理主義でもない「第三の道」という考え方を提唱して、イギリスのブレア政権の福祉政策のあり方に影響を与えた。 |
選択肢3 | ダニエル・ベル(Bell,D.)は、『ポスト工業化社会の到来』の中で、ポスト工業化の時代には「新しい知識階級」が、金融や情報に関する新しい技術を駆使しながら「経済学化様式」に立脚した意思決定を行うと主張した。 |
選択肢4 | ジョセフ・スティグリッツ(Stiglitz,J.)の著書の題名になった「底辺への競争」という現象は、経済のグローバル化によって途上国が一層、底辺化することである。 |
選択肢5 | ロバート・ピンカー(Pinker,R.)は、福祉サービスはインフォーマル部門、ボランタリー部門、公共部門という3つの部門によって多元的に供給されるという福祉多元主義の考え方を示した。 |
ウルリッヒ・ベック
ウルリッヒ・ベックは、著書『リスク社会』において、現代社会が「リスク社会」へと移行していると主張しました。産業社会がもたらす進歩の一方で、核災害や気候変動といった新たなリスクが生まれ、それが国境を超えて広がることで、従来の国家や組織では管理が困難な課題となっています。また、近代化が進む中で、伝統的な社会的枠組みは解体され、個人により多くの責任が委ねられる「個人化」が進行していると論じました。このプロセスにより、自由を得た個人は一方で、孤立感や不安の増大という新たな問題にも直面することとなります。
よって選択肢1は不正解になります。集合体に依存するのではなく近代化に伴い個人化が進んできました。
ダニエル・ベル
ダニエル・ベルは著書「ポスト工業化社会の到来」で、産業社会の次に訪れる社会の特徴を描き出しました。彼は、製造業からサービス業への移行を指摘し、情報や知識が経済や社会の中心となる時代が到来すると予測しました。知識労働者や専門職が増加し、高度な教育やスキルが重要性を増す一方、伝統的な製造業の労働者は減少すると述べています。また、科学技術の発展が社会変革の主要な推進力となり、物質的な生産から非物質的なサービスや知識の生成へと重点が移行すると考えました。
設問にある「経済学化様式」は産業社会の様式で効率性や合理性を求めるものになります。一方で「社会学化様式」は、社会構造や文化、価値観、人々の関係性を求めるものとなるため、ポスト工業化社会では後者の「社会学化様式」が該当します。
ジョセフ・スティグリッツ
ジョセフ・スティグリッツは、著書『世界を不幸にするグローバリズムの罠』で、国際機関が推進するグローバリゼーション政策に対し鋭い批判を展開しました。彼は、IMFや世界銀行が一律の市場原理主義に基づいて構築した経済改革が、多くの発展途上国で経済不安や貧困を増幅させたと主張しています。この政策は、各国の経済状況を十分に考慮せず、民営化や規制緩和を強要するものであり、結果として経済的不平等が拡大し、社会的安定が損なわれたと指摘しました。またスティグリッツは2001年にノーベル経済学賞も受賞されております。
底辺の競争
「底辺への競争」とは、国家や地域が企業の誘致や競争力の維持を目指して規制緩和や税率引き下げを競い合う結果、労働基準や環境保護基準、社会福祉水準が最低限に落ち込む現象を指します。グローバリゼーションや自由貿易の進展に伴い、各国が外国投資を呼び込むために法人税の削減や規制の緩和を行い、短期的には経済成長を促進しますが、長期的には税収の減少や公共サービスの質低下、労働条件の悪化を引き起こすリスクがあります。この現象を防ぐためには、国際的な協調や規制、企業の社会的責任の促進が求められています。
福祉多元主義
ロバート・ピンカーは、福祉多元主義(Welfare Pluralism)という概念を通じて、福祉の提供が国家だけでなく、さまざまな主体による共同の努力で成り立つべきであると論じました。この考え方は、福祉を「混合経済」として捉える視点に基づいており、国家、民間セクター、非営利団体、そして家族や地域社会といった複数の主体がそれぞれの役割を担うべきだとしています。
選択肢の3つの部門は間違えになります。
またウォルフェンデン報告では4つの部門に分類されていることから「3」という数字はそもそも間違えになります。
※強いて言えば「第3セクター」で数字の3が登場します。
第3の道
アンソニー・ギデンズ(Giddens,A.)は、社会民主主義的な福祉国家でもなく、サッチャリズムに象徴される市場原理主義でもない「第三の道」という考え方を提唱して、イギリスのブレア政権の福祉政策のあり方に影響を与えた。
これが正解になります。
解説2
第29回の問題33について以下解説になります。
第29回・33問 | イギリスの各種の報告書における地域福祉に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。 |
選択肢2 | エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。 |
選択肢3 | ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。 |
選択肢4 | バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。 |
選択肢5 | グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。 |
報告書と内容について正しく並び替えると以下になります。
エイブス報告 | 社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。 |
シーボーム報告 | 地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。 |
- | 地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。 |
バークレイ報告 | コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。 |
ベヴァリッジ報告 | コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。 |
ウォルフェンデン報告 | 福祉の提供主体をインフォーマル部門・フォーマル部門・民間営利部門・民間非営利部門の4つに分類 |
よって、バークレイ報告が正解となります。
ウォルフェンデン報告
ウォルフェンデン報告(1978年)は、福祉サービスの供給主体を多元的に捉える視点を提案しました。この報告書では、福祉の提供者を家族や地域コミュニティなどの非公式な支援ネットワーク、政府や地方自治体による公的サービス、営利企業によるサービス提供、そしてボランタリー団体や慈善組織などの非営利団体という四つの部門に分類しました。これにより、福祉を国家が単独で担うものとせず、複数の主体が役割を分担し、協力しながら支援を行う「福祉多元主義」のアプローチが明確化されました。この考え方は、国家主導の福祉提供の限界を補完し、多様なニーズに対応するための柔軟な仕組みの構築を促すもので、福祉政策における新たな方向性を示しました。
解説3
第32回の問題25について以下解説になります。
第32回・25問 | 「ベヴァリッジ報告」に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。 |
選択肢1 | 福祉サービスの供給主体を多元化し、民間非営利団体を積極的に活用するよう勧告した。 |
選択肢2 | 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。 |
選択肢3 | ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告した。 |
選択肢4 | 衛生・安全、労働時間、賃金、教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。 |
選択肢5 | 社会保障計画は、社会保険、国民扶助、任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。 |
第32回・25問 | 「ベヴァリッジ報告」に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。 |
ウォルフェンデン報告 | 福祉サービスの供給主体を多元化し、民間非営利団体を積極的に活用するよう勧告した。 |
アンソニー・ギデンズ | 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。 |
ヤングハズバンド報告 | ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して、専門性を高めるように勧告した。 |
ウェッブ夫妻 | 衛生・安全、労働時間、賃金、教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。 |
ベヴァリッジ報告 | 社会保障計画は、社会保険、国民扶助、任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。 |
よって正解選択肢は5になります。
ウェッブ夫妻
ウェッブ夫妻(シドニー・ウェッブとビアトリス・ウェッブ)は、イギリスの社会改革家であり、「ナショナル・ミニマム(National Minimum)」という概念を提唱しました。この概念は、最低限の生活基準を国全体で確保するための政策基盤を指します。
ナショナルミニマム
ウェッブ夫妻は、産業革命以降の急激な都市化と労働環境の悪化が労働者の生活を脅かしていることに注目しました。その中で、「ナショナル・ミニマム」という考え方を提唱し、すべての市民が最低限の生活水準を享受できる社会を目指しました。この概念には、健康、教育、労働条件、住居といった基本的な生活要素が含まれます。
夫妻は、国家が市場の不平等を是正する役割を果たすべきだと主張し、福祉政策や労働条件の改善を推進しました。たとえば、最低賃金の導入、労働時間の規制、労働安全衛生基準の設定など、国家が基準を設定し、すべての市民に保障されるべき最低ラインを確立することを提言しました。
ベヴァリッジはこのウェッブ夫妻から学び、後にベヴァリッジ報告でナショナルミニマムの概念を導入させます。
まとめ
以上が、グリフィス報告からワグナー報告、そしてブレア政権の「第3の道」に至るまでの流れとなります。これまで当HPでは、エリザベス救貧法から20世紀までのイギリス社会福祉の歩みを取り上げてきました。
何もないところから始まった社会福祉の歴史は、現代においても生き続ける重要な源流であり、後世に伝えていくべき貴重な遺産です。
ぜひ当HPをお知り合いの方にもご紹介いただければ幸いです。