
なぜ人によって「モチベーションのスイッチ」は違うのでしょうか。
その謎を解くヒントとなる理論が、デイビッド・マクレランドの「欲求理論」です。
この理論は、人の主な動機を「達成」「権力」「親和」の3つに分類し、それらは生まれつきではなく、経験を通じて後天的に学習されると説きました。つまり、部下がどの欲求を強く持つかを理解すれば、一人ひとりに響く効果的なアプローチが見えてくるのです。
本記事では、この欲求理論を深掘りし、他の理論との比較も交えながら、個々の力を最大限に引き出すマネジメント術を考察します。
マクレランドとは?

デイビッド・マクレランドは、人のモチベーションの源泉が経験によって後天的に形成されるという、画期的な「欲求理論」を提唱したアメリカの著名な心理学者です。彼はハーバード大学などで教鞭をとり、20世紀の動機付け研究の分野において多大な影響を与えました。それまでの多くの理論が、人の欲求を生まれ持った普遍的なものとして捉えていたのに対し、マクレランドは個人の社会的・文化的背景や学習経験が、その人を動かす主要な動機を形作ると考えたのです。
彼の研究の独自性は、目に見えない「動機」という概念を、客観的に測定しようと試みた点にもあります。その代表的な手法が「TAT(主題統覚検査)」と呼ばれる心理テストです。これは、被験者に意味ありげな絵を見せ、そこに描かれた状況について自由に物語を作らせることで、その人の無意識下にある欲求の強さを分析するものです。
このように、マクレランドは人のモチベーションを固定的・先天的なものではなく、変化しうるものとして捉え、その構造を科学的に解明しようとしました。彼の理論は、心理学の領域に留まらず、組織における人材育成やリーダーシップ開発、さらには経済発展の要因分析など、幅広い分野に応用される基礎を築いた人物として知られています。
マクレランドの欲求理論

マクレランドの欲求理論とは、人の行動を動かす主要な動機が「達成欲求」「権力欲求」「親和欲求」の3種類に分類されるとしたものです。この理論の大きな特徴は、これらの欲求が生まれつきではなく、人生経験を通じて後天的に形成されると捉えた点にあります。
人は誰しも3つの欲求を併せ持ちますが、その強さのバランスは個人によって大きく異なるため、「欲求のプロファイル」の違いが、仕事への姿勢やモチベーションの源泉の差となって現れるのです。
以下では、これら3つの欲求がそれぞれどのような特性を持つのかを詳しく見ていきましょう。
達成欲求
達成欲求とは、設定された目標や基準に対し、それを上回る成果を出すことに強い動機付けを感じる欲求のことです。この欲求を強く持つ人々は、困難な課題を自らの能力と努力で乗り越え、成功を手にすること自体に深い満足感を覚えます。彼らにとって仕事とは、自身のスキルを試し、成長を実感するための挑戦の場なのです。
このタイプの人材は、単に作業をこなすのではなく、常に自身のパフォーマンスを向上させようとします。成功確率が五分五分といった、簡単すぎず不可能でもない、程よい難易度の目標に対して最も意欲を燃やすでしょう。そして、自らの働きがどのような結果に繋がったのか、明確で具体的なフィードバックを得ることを強く望みます。報酬ももちろん重要ですが、それは労働の対価というよりも、自らが成し遂げた成功の証として捉える傾向があるのです。
このように、達成欲求が強いメンバーの能力を引き出すには、彼らに裁量権を与え、挑戦しがいのある目標を設定することが重要です。彼らは自らの責任で物事を成し遂げるプロセスを楽しみ、その結果として得られる達成感によって、次なる高みを目指すエネルギーの獲得につながる傾向があります。
権力欲求
権力欲求とは、他者に対して影響力を及ぼし、自分の考えや意図に沿って人々を動かしたいという強い動機を指します。
この欲求が強い人は、他者をリードし、コントロールできる状況に身を置くことを好み、そのプロセスを通じて自身の存在価値や有能さを実感します。彼らは単独で行動するよりも、集団の中でリーダーシップを発揮することに大きなやりがいを感じる傾向があります。
このタイプの人材は、議論の場で積極的に自らの意見を主張し、他者を説得することに長けています。また、組織内での地位や肩書きといった、自身の権威性を示すシンボルを重視する側面も持ち合わせています。ただし、この権力欲求には二つの側面があることに注意が必要です。一つは、他者を支配すること自体を目的とする「個人的権力欲求」で、これは時に組織の和を乱す要因にもなり得ます。もう一つは、組織全体の目標達成のために影響力を行使しようとする「組織的権力欲求」であり、これは優れたマネージャーやリーダーに不可欠な資質とされています。
このように、権力欲求を持つ部下の力を引き出すには、彼らが持つ影響力への渇望を、組織の目標達成というポジティブな方向へ導くことが求められます。プロジェクトのリーダーや後輩の指導役など、責任ある立場を経験させることで、彼らの欲求は健全な形で満たされ、組織への大きな貢献へと繋がっていくでしょう。
親和欲求
親和欲求とは、他者から好かれ、受け入れられたい、そして友好的で密接な人間関係を築き、維持したいという動機付けを指します。
この欲求が強い人々にとって、仕事の最大の喜びは、目標達成そのものよりも、信頼できる仲間と協力し、一体感を感じることにあります。彼らは、職場において孤独であることや、他者との間に摩擦が生じることを極度に避けようとします。
このタイプの人材は、競争的な環境よりも協調性が求められるチームでの活動を好みます。周囲の意見に真摯に耳を傾け、メンバー間の対立があれば仲裁役を買って出るなど、組織の潤滑油として重要な役割を果たします。彼らの存在は、チーム内に心理的な安全性をもたらし、円滑なコミュニケーションを促進する力を持っています。しかしその一方で、人に嫌われることを恐れるあまり、必要な場面で厳しい意見を述べたり、 一般的ではない決定を下したりすることが苦手という側面も持ち合わせています。
そのため、親和欲求が強いメンバーを活かすには、彼らの持つ協調性や共感力を高く評価し、チームワークの要となるような役割を任せることが効果的です。カスタマーサポートや人事、チーム内の調整役といった職務において、彼らはその能力を最大限に発揮し、組織に不可欠な貢献をもたらしてくれるでしょう。
代表的なモチベーション理論

マクレランドの欲求理論は、人の動機を後天的な学習の観点から捉えるユニークなアプローチですが、モチベーションを解き明かそうとする理論は他にも数多く存在します。
それぞれが異なる角度から人間の「やる気」のメカニズムに光を当てており、それらを比較することで、マクレランド理論の位置づけや特徴がより明確になります。また、複数の理論を組み合わせることで、複雑な人間の動機をより多角的に理解し、実践的なマネジメントに活かすことが可能になるでしょう。
ここでは、特に関連性の深い代表的な理論をいくつか解説していきます。
マズロー|欲求5段階説
アブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」は、人間の欲求が低次元なものから高次元なものへと階層をなしていると捉える、モチベーション理論の古典です。この理論では、まず生命維持のための「生理的欲求」や安全な暮らしを求める「安全の欲求」といった基本的な欲求が満たされる必要があり、それが充足されて初めて、集団への所属を求める「社会的欲求」、他者からの尊敬を望む「承認欲求」、そして自らの可能性を追求する「自己実現の欲求」へと関心が移っていくとされています。
この理論とマクレランドの理論の最も大きな違いは、欲求の捉え方にあります。マズローが欲求をすべての人間に共通する「先天的」なものと考えたのに対し、マクレランドは「後天的」に学習されるものだと主張しました。しかし、両者には関連性も見られます。マクレランドの「親和欲求」はマズローの「社会的欲求」に、影響力や地位を求める「権力欲求」は「承認欲求」に、そして自己の成長を志向する「達成欲求」は「自己実現の欲求」に、それぞれ対応する側面を持っています。
マズローの理論が人間の普遍的な欲求の土台を示す一方で、マクレランドの理論は、その土台の上で個人がどのような動機を強く学習していくのかという「個人差」に焦点を当てています。両者を併せて理解することで、人間理解の奥行きはより一層深まるでしょう。
ハーズバーグ|動機付け衛生理論
フレデリック・ハーズバーグが提唱した「動機付け・衛生理論」は、仕事における「満足」と「不満足」が、それぞれ全く異なる種類の要因によって引き起こされるという画期的な視点を提供します。この理論では、仕事の不満を解消する要因と、満足感をもたらし積極的に仕事へ向かわせる要因は、一直線上にあるのではなく、それぞれが独立して存在すると考えます。
不満に関わるのは「衛生要因」と呼ばれ、給与、福利厚生、労働環境、会社の方針、人間関係などがこれにあたります。これらの要因は、整備されていなければ強い不満を引き起こしますが、いくら満たされても「不満がない」という状態になるだけで、高い満足感やモチベーションを直接生み出すことはありません。
一方、満足感に関わるのは「動機付け要因」であり、仕事の達成感、承認されること、仕事そのものの内容、責任、昇進や成長の実感などが含まれます。これらの要因が与えられることによって、人は初めて仕事へのやりがいや満足を感じ、内発的なモチベーションが高まるのです。
この理論はマクレランドの欲求理論と深く関連します。マクレランドが示した3つの欲求、特に「達成欲求」や「権力欲求」は、ハーズバーグの「動機付け要因」によって強く刺激されると言えるでしょう。挑戦的な仕事を通じて達成感を得たり、責任ある立場を任されて承認されたりすることは、これらの欲求を持つ人々にとって何よりの報酬となります。衛生要因の改善だけでは、彼らの内なる渇望を満たすことはできないのです。
マクレガー|XY理論
ダグラス・マクレガーが提唱したXY理論は、リーダーが部下に対して抱く根本的な「人間観」が、そのマネジメントスタイルを決定づけるという理論です。この理論は、人間に対する二つの対立的な見方、すなわちX理論とY理論を提示します。X理論は「人間は本来怠け者で、強制されなければ働かない」という性悪説的な見方であり、Y理論は「人間は本来意欲的で、自ら進んで責任を果たそうとする」という性善説的な見方です。
この理論はマクレランドの欲求理論と深く結びついています。マクレガーがY理論で描く、自律的に目標へ向かい、仕事にやりがいを見出す人間像は、まさにマクレランドの「達成欲求」が強い人材の特性と重なります。Y理論に基づいたマネジメント、つまり部下を信頼して裁量権を与え、挑戦的な目標達成のプロセスを支援するアプローチは、達成欲求の強いメンバーの「自らの力で成し遂げたい」という内なる動機を最大限に引き出すための理想的な環境と言えるでしょう。
逆に、X理論に基づいたマイクロマネジメントや厳格な統制は、彼らの自律性を阻害し、モチベーションを著しく低下させる可能性があります。リーダーが部下の欲求タイプを理解せず、画一的にX理論的な管理を行ってしまうと、本来Y理論的なアプローチで輝くはずの人材の可能性を摘んでしまいかねません。
マクレランドの理論は、リーダーがどの部下に対して、どのような人間観(XかYか)で接するべきかを判断するための、重要なヒントを与えてくれるのです。
ブルーム|期待理論
ビクター・ブルームが提唱した「期待理論」は、人のモチベーションがどのような心理的なプロセスを経て生まれるのかを論理的に説明する理論です。マクレランドが動機の「内容」に焦点を当てたのに対し、ブルームは動機付けの「メカニズム」そのものに着目しました。この理論によれば、モチベーションの強さは「期待」「道具性」「誘意性」という3つの要素の掛け算によって決定されるとされています。
第一の要素「期待」とは、「自分が努力すれば、目標とする成果を達成できるだろう」という可能性に対する主観的な信念です。第二の「道具性」は、「その成果を達成すれば、何らかの報酬が得られるだろう」という、成果と報酬の結びつきに対する信頼度を指します。そして第三の「誘意性」が、「その報酬は自分にとってどれほど魅力的か」という、報酬そのものへの価値判断です。モチベーションはこれら3つの要素の積で決まるため、どれか一つでもゼロに近いと、全体のモチベーションは著しく低下してしまいます。
この理論は、マクレランドの欲求理論と組み合わせることで、より実践的な洞察を得られます。なぜなら、マクレランドが示した3つの欲求は、ブルームの言う「誘意性」、つまり何に魅力を感じるかを決定づける重要な要因だからです。達成欲求の強い人にとっては「挑戦的な目標の達成感」が、権力欲求の強い人にとっては「リーダーとしてのポジション」が、そして親和欲求の強い人にとっては「仲間からの感謝」が、それぞれ高い誘意性を持つ報酬となります。
リーダーは、部下の欲求タイプを見極め、彼らが最も価値を感じる報酬を提示することで、そのモチベーションを効果的に高めることができるのです。
まとめ
本記事では、デイビッド・マクレランドの欲求理論を中心に、人の多様なモチベーションの源泉を考察してきました。彼の理論の核心は、人を動かす「達成」「権力」「親和」という3つの欲求が、人生経験を通じて後天的に学習されるという点にあります。これは、画一的なマネジメント手法には限界があり、部下一人ひとりの持つ固有の「欲求のプロファイル」を理解することの重要性を強く示唆しています。
他のモチベーション理論と比較することで、その実践的な価値はさらに明確になります。マズローやハーズバーグの理論が動機付けの土台や共通要因を示す一方で、マクレランドの理論は、なぜ個人によって響くポイントが違うのかという「個人差」に鋭く切り込みます。ある人にとっては挑戦的な目標が、またある人にとってはリーダーとしての責任が、そして別の人にとってはチームとの一体感が、最高の報酬となり得るのです。
最終的に、この理論がリーダーに教えてくれるのは、部下を深く観察し、彼らがどのような欲求によって動かされているのかを見極める洞察力です。それぞれの「心のエンジン」に合った役割や環境、そして承認の言葉を与えること。それこそが、個々の才能を最大限に開花させ、組織全体の推進力を高めるための、最も確かな道筋と言えるでしょう。









