はじめに
本記事では、「福祉とは何か?」と「福祉の人は誰か?」について考えるというテーマで、福祉に関心のある人に向けたコラムをまとめていきます。
皆さんの中にもきっと「福祉って何だろう?」という問いを一度は立てたことのある人も多いのではないでしょうか?
福祉とは何か?について考えることは自身の「福祉観の形成」のために重要になります。今回は福祉観の形成のためのヒントがつまった内容となっておりますので、良かったら最後までご覧ください。
問い
「福祉とは何か?」「福祉の人は誰か?」について考える。
福祉とは何か?という問い
福祉とは何か?
福祉とは何か?考えても考えてもその答えはわからなかった。
上記はとある方の言葉になります。
「妻子を置いて大学院にまで行って福祉の勉強をしてもその答えはわからなかった。」
このような言葉を述べていたことを、今でも印象に残っております。
教育とは何か?
究極的には「教育」という言葉を用いないで、教育を定義づけすること。
「福祉とは何か?」という問いも存在すれば、「教育とは何か?」のように他の分野でも同様の問いが存在します。
私が教育大学で学んでいたときに、究極的に「教育」という言葉を用いないで教育を定義づけすることを考えていた先生がおりました。
このように上記の「福祉とは何か?」という問いの答えを考えても考えてもわからなかったというのは、きっと哲学レベルで「福祉とは何か?」を考えていたことが見受けられます。
福祉のイメージ
福祉のイメージというと「どこか身近で、どこか遠いもの」といった言葉で私はよく表現します。
皆さんにとっての「福祉のイメージ」はどのようなものでしょうか?
リアリティ(現実)とは?
そこにいる人たちが主観的に感じるものがリアリティ(現実)
例)車
・日本では車は左を走る
・アメリカでは車は右を走る
このようにリアリティというものは、所属する場所や環境が変わる中で移り変わる「主観的なもの」でもあります。
これは「福祉のイメージ」に関しても同様で、その人の立場や状況に応じてそれぞれであり、主観的なものとして捉えることもできます。
ある人にとっては「介護」かもしれないし、「障害」かもしれない。また「貧困」かもしれないし、「児童」かもしれない。さらには「車イス」かもしれないし、「点字」かもしれない。もっと言えば「思いやり」や「社会保障の制度や仕組み」かもしれない。
皆さんの「福祉のイメージ」はどのようなものを想像するでしょうか?
自発的社会福祉と法律による社会福祉
「福祉のイメージは人の数ほどあり」だとまとまりが悪いので、社会福祉の大枠について簡単にみていきます。
社会福祉
・自発的社会福祉(voluntary social service)
※単なるボランティアとは異なり公的に認められるもの
・法律による社会福祉(statutory social service)
参考:社会福祉原論 岡村重夫 全社協 P3より
引用
中略~
一定の資本主義経済の発達段階における社会・経済的条件によって規定される社会福祉の典型は「法律による社会福祉」(statutory social service)である。わが国の現状でいえば福祉六法である。
しかし法律による社会福祉が社会福祉の全部ではない。いな全部であってはならない。
法律によらない民間の自発的な社会福祉(voluntary social service)による社会福祉的活動の存在こそ、社会福祉全体の自己改造の原動力として評価されなければならない。
「法律による社会福祉」が法律の枠にしばりつけられて硬直した援助活動に終始しているときに、新しいより合理的な社会福祉理論による対象認識と実践方法を提示し、自由な活動を展開することのできるのは自発的な民間社会福祉の特色である。
それは財源の裏づけもなければ、法律によって権威づけられた制度でもない。しかしそのようなことは自発的な社会福祉にとって問題ではない。
問題なのは、その社会福祉理論の合理性に裏づけられた新しい社会福祉援助原則を、たとえ小規模であっても、これを実証してみせることであり、また「法律による社会福祉」の側がこれを謙虚に受けとめて法律を改正し、その時々の社会福祉全体をいかに発展させるかということである。
社会福祉原論 岡村重夫 全社協 P3より
このように福祉とりわけ「福祉サービス」とみると福祉六法を軸とした「法律による社会福祉」がまず存在し、さらに民間による「自発的社会福祉」が存在すると岡村重夫は述べております。
「法律による社会福祉」は、社会福祉法による「第一種社会福祉事業(主に入所系)」、「第二種社会福祉事業(通所系、短期入所など)」を大枠に、「介護保険法」に基づくもの、「障害者総合支援法」に基づくもの、「児童福祉法」に基づくもの、その他更生保護や権利擁護、公的扶助や保健制度など、多岐に渡ります。
一方「民間による自発的社会福祉」は、現代でいえば「NPO」のような形式での活動や、各団体が行う社会福祉活動(啓発活動や、相談、物資提供、居場所づくりなど)が展開されております。
福祉の歴史を遡ると、今ある法律による社会福祉は、最初から存在していたわけではなく、誰かがはじめた小さなことが発展して現在に至っていることがあります。
このように、どれが一番というものはありませんが、それでも「小さな活動」というものも無くてはならない重要なものであるということ、また福祉というものは「法律によるサービスだけではない」ということも、不確実性のある時代において今後ますます重要となってきます。
多様性とは?
近年「多様性」という言葉をよく耳にすることが多くなってきたのではないでしょうか?
「多様性を尊重する社会を目指す」という目標は、福祉にも密接に関わってきます。
ここで一旦社会学の用語をいくつかご紹介します。
文化帝国主義
現代国家における支配と従属の関係は文化の側面にも見られ、ある国のメディア情報や商品・ライフスタイルの浸透を通じて、他国の慣習や価値観が支配されていくことは、文化帝国主義と呼ばれる。
※社会福祉士国家試験第22回問題16-2より
文化帝国主義の例)マクドナルド
文化資本
身体的振る舞いや家財道具、獲得した制度資格など文化的要素を帯びるものが本人や家族で蓄積・継承されて、文化現象や社会的格差を再生産することがあり、それらは文化資本と呼ばれる。
※社会福祉士国家試験第22回問題16ー1を正解選択肢に改変
文化遅滞
産業の変化を支える科学・技術の発展に伴い物質文化の展開は急速に進むが、政治・法律や教育など非物質文化は技術変動についていけず、変化の速度に時間的な違いがでてくることは、文化遅滞と呼ばれる。
※社会福祉士国家試験第22回問題16ー3を正解選択肢に改変
文化ヘゲモニー
社会の文化を操る支配階級によって多様な文化の社会が支配されることを指すマルクス主義哲学の用語。支配階級が押し付けた信条、解釈、認識、価値観などの世界観が、文化的規範として受け入れられるようになる事をいう。
出典:文化ヘゲモニーWikipediaより
社会福祉は社会学も学びます。社会学にはマクロな視点(鳥の目)で、個人や社会を捉えるために重要な要素が込められております。
なぜ多様性を取り上げる中で、社会学用語を紹介したのかというと、当たり前に使っているこの「多様性」という言葉に疑問を抱いてもらいたいと考えたからになります。
「一人として同じ人間はいない」ということは言われてみると当たり前かもしれません。
しかし実際は、上記の社会学用語にもあるように「いつの間にか気づかずに支配や影響を受けていること」や、その他「レッテル貼り」や「カテゴリー分け」といったような「ラベリング論」のように人々が影響を受けることもあります。
ラベリング論
周知の人々や社会統制機関などが、ある人々の行為やその人々に対してレッテルを貼ることによって、逸脱は作り出されているとみる立場である。
社会福祉士国家試験第29回問題21-4より
難しくなってきたのでここまでにしますが、要は「多様性」という言葉は、「ある意味当たり前」のことであり、むしろ「多様性という言葉を使わないといけないほど、多様性ではなくなっている社会」とも言えるということにもなります。
多様性の裏側
多様性という言葉を使わないといけないほど、社会は多様性ではないともいえる。
このように「社会福祉は一重にものの見方」でもあり、広い視点で物事を捉える「眼」が時には重要になります。
ソーシャルワークとは何か?
一旦福祉という言葉から「ソーシャルワーク」という言葉を用いていきます。
今回のテーマである「福祉とは何か?」「福祉の人は誰か?」に関連づけていく道筋になります。
まずソーシャルワークという言葉は「世界中」にあり、ソーシャルワークの国際連盟は世界で129か国(2020年時点)の団体が加盟しているほどの規模になります。
2014年には「グローバル定義」というものが掲げられたので一部ご紹介します。
グローバル定義
ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。
社会正義、人権、集団的責任、および多様性の尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。
ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。
この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。
ソーシャルワーク専門職のグローバル定義(2014年)より
詳細について語ると長くなるので、文面のご紹介に留めますが、このように国際定義というものが存在します。
ここで何が言いたいのかというと、この定義は「ソーシャルワークの定義」であり、「ソーシャルワーカーの定義ではない」ということです。
定義と倫理綱領
・ソーシャルワーク専門職のグローバル定義は「ソーシャルワークの定義」であり、「ソーシャルワーカーの定義ではない」
・そのためソーシャルワーカーの倫理綱領が存在する。
このように、「ソーシャルワーク」と「ソーシャルワーカー」の細分化は「福祉とは何か?」を考えるヒントにもなります。
「ソーシャルワークとは何か?」を考えたときに上記条文では具体的なイメージをもって人々に伝えることは難しいですが、「ソーシャルワーカーは誰か?」ということで人々に示すことは比較的容易だと言えます。
まとめると以下のようになります。
本記事の中核
・「ソーシャルワークとは何か?」よりも「ソーシャルワーカーは誰か?」
・「福祉とは何か?」よりも「福祉の人は誰か?」
・「教育とは何か?」よりも「教育をする人は誰か?」
このように「福祉とは何か?」を考えるにあたって、視点を変えて「福祉の人は誰か?」という視点でも考えてみると、思いのほか腑に落ちることがあるかもしれません。
石井十次と大原孫三郎
"皆さんにとって"福祉の人は誰でしょうか?
きっと人生の中で必ず誰かと出逢っているはずです。それを自分史の中で思い起こすことが福祉教育のコアにもなります。
ここである人物を紹介します。
皆さんは石井十次と大原孫三郎をご存じでしょうか?
以下動画をリンクします。
石井十次は、明治時代に岡山孤児院を設立した人であり「児童福祉の父」と呼ばれております。
これはまさに先ほど紹介した「自発的社会福祉」であり、のちに児童養護施設として「法律による社会福祉」となっていきます。
当時の運営資金は、「キリスト教による寄付金」と倉敷紡績の実業家である「大原孫三郎による寄付金」、自ら孤児院の子どもたちが「音楽隊として活動した寄付金」や「織物など職を通して得たお金」が財源になります。
※詳しくはぜひ動画の方をご覧ください。
一つエピソードを紹介すると、大原孫三郎は倉敷紡績の御曹司でありましたが東京に出て失敗して地元に戻ってきます。その時に出逢った石井十次の生き様に魅かれ、経済のみならず社会貢献の道を歩むことになっていくのです。
名言
君と僕とは酸素と炭素、逢えばいつでも炎になる。
※石井十次が大原孫三郎に贈った言葉
以上が「福祉とは何か?」と「福祉の人は誰か?」を考えるをテーマにした記事になります。
最後にまとめとなります。
まとめ
まとめ
★福祉とは何か?福祉の人は誰か?
・福祉観の形成に重要なもの
・福祉のイメージは主観的なものとしてその人それぞれの内にある
・福祉とは何か?を考える上で「福祉の人は誰か?」と具体的に示すことが鍵
これは私がコロナ渦の中で、いろいろな人や歴史から学ぶ中で得た「現時点での自分なりの福祉観」になります。
きっと皆さんそれぞれにも、「十人十色の福祉観」というものが存在するはずです。
本記事が皆さんにとって「福祉とは何か?」そして「福祉の人は誰か?」について考えるきっかけになりましたら幸いです。
引き続きどうぞよろしくお願いします。