社会福祉の歴史

セツルメント運動の歴史について要点キーワードまとめ|社会福祉の発展過程を学ぶ

はじめに

本記事では、イギリスのトインビーホールからはじまったセツルメント運動の歴史や、その後のアメリカ・日本での展開について、要点やキーワードをまとめております。

社会福祉を学ぶ方や社会福祉士国家試験合格を目指す方にとって必見の内容となっております。

どんな人を対象?

・セツルメント運動について広く学びたい人。

・将来社会福祉に関わる仕事に就きたい人。

・社会福祉士国家試験合格を目指す人。

・社会福祉を学び自身を成長させたい人。

”社会福祉は一重にものの見方にあり”

社会福祉は貧困者へのアプローチが根幹にあります。

そのため歴史や源流は実践者の福祉観の形成に重要な役割を果たしてくれます。

それでは以下ご覧ください。


セツルメント運動のキーワード

セツルメント運動のキーワードについて以下になります。

セツルメント運動

・貧困地区(スラム)に知識や教養のある人が実際に住み込んで、そこに住む人と共に暮らす中で社会改良を図った。

・教育やレクリエーションの機会、環境改善や生活改善に向けた幅広い活動を展開。

・「見棄てられたロンドンの悲痛な叫び(1883年)」のパンフレットは、メディアの後押しもあり、イギリスの隅々まで知れ渡った。

・これまでの伝統的貧困観(個人の問題)とは異なり、貧困の原因を「社会の問題」として捉えた。

・世界最初のセツルメントは、「トインビーホール(イギリス1884)」であり、初代館長にサミュエル・バーネットが就任された。

各地のセツルメント運動

・トインビーホール(イギリス1884)=バーネット夫妻

・ネイバーフッドギルド(アメリカ、ニューヨーク1886)=コイト

・ハルハウス(アメリカ、シカゴ1889)=ジェーン・アダムズ (J,アダムズ)

 ※ジェーン・アダムズは米国女性初のノーベル平和賞を受賞された方。

・岡山博愛会(日本、岡山1891)= アリス・ペディ・アダムズ(A,アダムズ)

・キングスレー館(日本、東京神田1897)=片山潜

このように、「貧困の原因を個人の責任と捉えた」慈善組織協会と異なり、セツルメント運動は「貧困の原因は社会の問題である」とした貧困観を持って、実際に貧困地区に住み込む形で活動を行いました。

「金品よりも、人格を捧げよ」というバーネットの言葉があるように、セツルメント運動は「人格の交流」という根本的精神があります。

活動を行った人たちは「セツラー(貧困地区に住み込む人)」と呼ばれており、代表的な人に「アーノルド・トインビー」という青年がおりました。

トインビーは精力的に活動を行っておりましたが、病弱であることや活動の多忙さもあり、31歳の若さでお亡くなりになります。

そして、世界最初のセツルメントは、そのトインビーの名前をとって、「トインビーホール」と名付けたのです。

その後、トインビーホールには多くの方が訪れて、世界中へとその実践が広がっていったのです。


セツルメント運動について

セツルメント運動は、当時の東ロンドン(イーストエンドと呼ばれるほど貧困かつ不良地区)がはじまりの舞台となっております。

思想としては、エドワード・デニソンが、救貧活動の限界を感じ、学識者による共同生活を手始めに考えたことが先駆的な取り組みとなり、その後ホワイトチャペル地区のユダ協会に司祭として来たサミュエル・バーネットにより、本格的な運動へと発展した流れがあります。

※このホワイトチャペル地区は教区の中でもっとも不良な地区であり、バーネットも歓迎としてノックダウンさせられ時計を奪われた先例があったとのこと。

また、セツルメント運動で重要となるのが「大学」となります。現代では世界トップクラスの、「オックスフォード大学」や「ケンブリッジ大学」もこのセツルメント運動に関わってきます。

1875年に、バーネット夫妻は、母校のオックスフォード大学で、ホワイトチャペル地区の悲惨な状況を訴える機会をもらい、人格的接触を通じて貧困者の救済を行うため、大学生に向けて「ホワイトチャペル地区に住む」ことを呼びかけました。

その中の一人が、上記に書いた「アーノルド・トインビー」で、ホワイトチャペルで下宿し、セツラーとして救貧保護委員としての役割や、労働問題に対する講演、消費組合を援助するなど、精力的に活動を行いました。

バーネット

・ホワイトチャペル地区のユダ協会の司祭として着任。

・オックスフォード大学出身で、オックスフォード大学との連携が必要であることを確信していた。

・大学生に対して、「ホワイトチャペル地区に住み込むこと」を呼びかけた。

 ※その中の聴衆の一人に「アーノルド・トインビー」がいた。

・貧困救済委員会のホワイトチャペル地区委員として奉仕。

・大学拡張運動の東ロンドン支部を設立。

・青年扶助協会の都市支部を組織化し、文学と討論の会、美術展示の開催など行った。

・子どもの夏季休暇活動の資金を集めた。

・イーストエンドに著名な訪問者を多く迎えた。


世界初のセツルメント設立に向けて、周囲に大きな影響を与えたものとして、「演説」と「パンフレット」がありました。

バーネットは友人のシドニー・ベルの部屋に招かれ、大学生やその他の人々に向けて、「大都市における大学人のセツルメント」という演題で、演説を行いました。演説と言いながらも、感情の誇示もなく、静かに、建設的な訴えや呼びかけだったようです。

この会合には、後に社会的名声を挙げた多くの若者が参加されておりました。

このように、演説といった形で、人々に伝えるということは、社会を動かす種を蒔くことにも繋がります。

バーネットの演説

「大都市における大学人のセツルメント」という演題で、学生やその他の人々に向けて演説を行った。

また1883年頃、「見棄てられたロンドンの悲痛な叫び」というパンフレットがロンドン組合協会の賛助のもと匿名で出版されました。

さらにこのパンフレットは、ポール・マールガゼット紙と、デイリー・ニュース紙にすぐ取り上げられて、宣伝を後押しされました。

あるアメリカの観察者は、「小冊子が限られた少数の読者だけに行き渡っただけであったなら、東ロンドンを再生させる社会活動はけっして起こらなかっただろう」と述べております。

このように、メディアの力というものは、社会運動を後押しする無くてはならない協力者とも言えるのです。

メディアの力

「見捨てられたロンドンの悲痛な叫び」というパンフレットが出版され、メディアの後押しもあり、イギリスの隅々まで知れ渡った。

そして1884年に、若くしてこの世を去ったアーノルド・トインビーの名前を用いて、世界初のセツルメント「トインビーホール」が初代館長サミュエル・バーネット就任のもと設立されたのです。


トインビー・ホール(世界初のセツルメント)

トインビーホールは、幅広い教育活動や、住民の生活向上、社会調査や、労働団体の支援、行政への参画など、多くの役割を行いました。

教育やレクリエーションの機会を重視したということで、大学公開講座や、児童クラブ、余暇指導、学生討論団、芸術クラブ、旅行クラブ、無料法律相談、などたくさんの活動がされていたようです。

また、トインビーホールに訪れた人たちには、後に著名な社会活動家がたくさん生まれます。

チャールズ・ブースやベヴァリッジ、ジェーン・アダムズなど、社会福祉にとっても馴染みある人物もここの土地を訪れたのです。

なお現在は、HPにてデジタルアーカイブが存在し、135年の歴史をみることができます。

TOYNBEE HALL

私たちの沿革より (HP日本語訳変換)

トインビーホールは1884年にサミュエルとヘンリエッタ・バーネットによって設立されました。

サミュエルは英国国教会の牧師であり、ヘンリエッタは牧師、慈善家、社会活動化でした。

結婚後、彼らは既存の個人化された断片的なアプローチでは永続的な社会変革は達成できないという認識の高まりに応えて、トインビーホールを設立しました。

その根本的なビジョンは、将来のリーダーがロンドンのイーストエンドに住み、ボランティアとして働くための場所を作り、彼らに貧困と向き合い、国民生活に持ち込める実践的な解決策を開発する機会を与えることでした。

https://www.toynbeehall.org.uk/about-us/our-history/より

このように、デジタルの力で、世界中の人たちに情報が届く世の中になりました。

当時の写真などもあるので、もし興味のある方は一度ご覧になってみてください。


アメリカでのセツルメント

慈善組織協会がイギリスからはじまってすぐアメリカに渡ったように、セツルメント運動もアメリカへと広がります。

一番最初は1886年の「ネイバーフッド・ギルド(隣人ギルド)」であり、スタントン・コイトがニューヨークにて展開します。

その後、1889年シカゴのにて、ジェーン・アダムズが世界最大のセツルメント「ハルハウス」を展開するのです。

ハルハウスの影響もあり、アメリカでのセツルメントは10年あまりで、400を超えたとのことです。

ちなみにこのジェーン・アダムズは、米国女性初のノーベル平和賞を受賞された方です。

第一次世界大戦が起きたときも、平和を願う女性の会を結成するなど、国際的なリーダーとして活躍されました。

以下はハルハウスミュージアムのHPのリンクになります。

こちらも翻訳機能により、日本語で閲覧することができますので、良かったらご覧になってみてください。

ハスハウスミュージアム・https://www.hullhousemuseum.org/

ジェーン・アダムズより

何かにおびえて、すぐにあきらめ、世界を救うかもしれない取り組みを投げ出してしまう。それが一番良くないことです。

危険なジェーンと呼ばれても、スザンヌ・スレード文、アリス・ラターリー絵、小林晶子訳 岩崎書店 P38引用


日本におけるセツルメント

日本でもセツルメント運動が展開されていきます。

1891年に岡山で宣教師のアリス・ペディ・アダムズが、岡山博愛会を展開します。

その後、本格的なセツルメントとして1897年「キングスレー館」が片山潜により、東京神田に開設されます。

具体的な活動はトインビーホールやハルハウスと似ており、子どもから大人までを対象に、クラブ活動や教育活動、講義活動など幅広く行ったようです。

その他、セツルメントは日本独自にも展開され、1921年に大阪市北市民館(志賀支那人が設立)に代表されるような公立のセツルメントも誕生したとのことです。


社会福祉士国家試験~設問より

社会福祉士を目指す方向けに国家試験の問題についても触れていきます。

また、国家試験の問題は知識を振り返り確認する上でも役に立ちます。

以下セツルメント運動に関わる設問について、内容が正しいかどうか確認してみてください。

第28回-34

日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams,A)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。

第27回-93

大正期には、公営のセツルメントが誕生し活動を展開した。

第27回-33

ロンドンの富裕地域に設立されたトインビーホール(1884年)は、セツルメントの拠点として、富裕層による慈善活動を換起する役割を担った。

第22回-86

セツルメント運動は、大学生たちが貧困地区に住み込むことによって展開され、貧困からの脱出に向けて、勤勉と節制を重視する道徳主義を理念とした。


社会福祉士国家試験~設問解答

第28回-34

日本におけるセツルメント運動は、アダムス(Adams,A)が岡山博愛会を設立したことに始まるとされている。

この設問は正解となります。最初にアリス・ペディー・アダムズが岡山博愛会を設立し、その後片山潜が本格的なセツルメントであるキングスレー館を開設したとされております。


第27回-93

大正期には、公営のセツルメントが誕生し活動を展開した。

この設問は正解となります。日本の特色として、公立のセツルメントが大阪で最初開設されたことがあります。


第27回-33

ロンドンの富裕地域に設立されたトインビーホール(1884年)は、セツルメントの拠点として、富裕層による慈善活動を換起する役割を担った。

この設問は不正解となります。イーストエンドといわれる貧困で不良な地区に住み込んだところからはじまります。

よって富裕地区に設立されたという表現は不適切になります。


第22回-86

セツルメント運動は、大学生たちが貧困地区に住み込むことによって展開され、貧困からの脱出に向けて、勤勉と節制を重視する道徳主義を理念とした。

こちらの設問は不正解となります。慈善組織協会が個人の責任とした貧困観をもっていたのに対して、セツルメントは社会の責任といった貧困観をもって活動を行いました。

よって、勤勉と節制を重視する道徳主義という箇所は「個人の責任」とした貧困観をもった慈善組織協会の表現になるので、不適切となります。


まとめ

再度キーワードについて振り返ってみます。

セツルメント運動

・貧困地区(スラム)に知識や教養のある人が実際に住み込んで、そこに住む人と共に暮らす中で社会改良を図った。

・教育やレクリエーションの機会、環境改善や生活改善に向けた幅広い活動を展開。

・「見棄てられたロンドンの悲痛な叫び(1883年)」のパンフレットは、メディアの後押しもあり、イギリスの隅々まで知れ渡った。

・これまでの伝統的貧困観(個人の問題)とは異なり、貧困の原因を「社会の問題」として捉えた。

・世界最初のセツルメントは、「トインビーホール(イギリス1884)」であり、初代館長にサミュエル・バーネットが就任された。

各地のセツルメント運動

・トインビーホール(イギリス1884)=バーネット夫妻

・ネイバーフッドギルド(アメリカ、ニューヨーク1886)=コイト

・ハルハウス(アメリカ、シカゴ1889)=ジェーン・アダムズ (J,アダムズ)

 ※ジェーン・アダムズは米国女性初のノーベル平和賞を受賞された方。

・岡山博愛会(日本、岡山1891)= アリス・ペディ・アダムズ(A,アダムズ)

・キングスレー館(日本、東京神田1897)=片山潜

このように、セツルメント運動は「人々と共に」という在り方で、実際に貧困地区(スラム)に住み込む中で社会改良を図った運動になります。

イーストエンドという最悪の地区で、人々が社会改良のために、いかにして働きかけたという実践の軌跡は、きっと現代の人々がそれぞれの社会課題に立ち向かう上でも、大切なことを教えてくれます。

バーネット

ロンドンのもっとも貧しく、もっとも人口の集中した地域に住んでいたが、バーネットはけっして集団のなかの個人を忘れなかった。バーネットは森の中を進んでいくことができたが、1本1本の木のことを考えていた。バーネットはおおきなコミュニティのために計画し、奔走したけれども、「1人ひとり」のためにそうしたのであった。

トインビーホールの100年 P38引用

今後も社会福祉の歴史や知識について、記事を書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

☆本記事を書くにあたって参考した文献

・トインビーホール100年 アサ・ブリッグス、アン・マカトニー著 監訳 阿部志郎 全国社会福祉協議会 Ⅰ時代と場所 ビクトリア朝の序幕、Ⅱサムエル・バーネットと友人たち

・社会福祉発達史キーワード 古川孝順、金子光一著 有斐閣アルマ 第2章生成期19キングスレー館

・社会福祉のあゆみ 社会福祉思想の軌跡 金子光一著 有斐閣アルマ 第4章民間福祉部門の役割 4セツルメント運動の形成と展開

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